74776
3期生の部屋

「3期生の部屋」へようこそ!
この掲示板は、北高3期生のための情報発信基地です。
3期生のイベント案内や相互連絡…また、個人的な日常の所感…等々、
いろいろな情報発信に使ってください。
ただし、良識を逸する書き込みはご遠慮ください!
せっかくの「3期生の部屋」ですので、皆さんの投稿を★ヨ・ロ・シ・ク★
[ HOME掲示板TOP一覧表示ツリー表示トピック表示新規投稿記事検索記事修正・削除携帯用URL管理用 ]


[1271] 戌年に因んで Name:木村 3組 Date:2018/01/06(土) 07:57 [ 返信 ]
 おはようございます。
 新年早々どうでもいい話で恐縮ですが、エンジンのかかりが悪く、且つ北高ネタのストックも底を尽きましたので、戌年に因んでの佐賀県内ネタをお一つどうぞ。
 
 西日本新聞に掲載された記事で、佐賀県内には犬を飼ってはいけない島があるというものです。
 
 こちらからどうぞ
 https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/383958/


[1269] 明けましておめでとうございます。 Name:木村 3組 Date:2018/01/05(金) 08:40 [ 返信 ]
 明けましておめでとうございます。

 2018年初の書き込みです。
 どなたか書き込まれるのではないかと淡い期待を持っておりましたが、今朝までその兆候はないようです。
 しかしながら、20〜30名の方が毎日訪問されていますので、皆さん、全く関心がない訳ではないようです。
 
 また、卒業50周年同窓会のビデオは、延べ200名を超える方が視聴されていて、上野さんの苦労が報われて良かったなと思っております。

https://www.youtube.com/watch?v=W-eKU6Ies5A

 ところで、初書き込みをしようにもネタが枯渇しておりますので、古い北高ネタで恐縮ですがをお一つどうぞ。
 話は北高校歌誕生の経緯についてで、平成9年度の開校記念日に、当時の校長先生がその話をされておりますのでご紹介します。(この話は今回で3度目の書き込みです。不悪。)

 なお、西牟田元校長は80才を越えておられますが、ご健勝で佐賀新聞の読者文芸「川柳」の常連投稿者です。今年の年賀状に書かれていたものから一句

 「東大京大出てもクイズで稼ぐだけ」

◎平成9年度佐賀北高校「開校記念日」講話 1997年5月1日 (木)

「北高校歌」誕生秘話
校 長 西牟田  勲

 お早うございます。校長の西牟田です。
 本日は、佐賀北高校35回目の開校記念日です。昭和38年(1963)年5月1日に、全日制と通信性をもつ現在の北高になったのを記念して、この日を開校記念日としています。
 さて、昨年は、本校の中庭に咲いている「ハナミズキとワシントンの桜」の話をしましたが、きょうは、「北高校歌誕生のエピソード」を紹介します。
 私の友人に、唐津西高の世界史の先生で、久原閑という人がいます。彼は、本校の初代校長である永井茂雄先生の甥に当たります。昨年、彼から一通の手紙をもらいました。その一部を読み上げます。

 今度の北高校長は、校歌の作詞・作曲者の由来をご存じでしょうか。
 私が京都で学生だったとき、伯父である永井茂雄さんから、ある日電話が掛かってきました。
 「おっつあんな高田保馬先生の家ば知っとるかい?」
 「ハッ、はい。一度、大学の佐賀高校同窓会にお招きして、帰りに送っていったことがありますけん、案内はでくっです」と答えました。

 当日、駅まで永井さんを迎えに行きました。
 「高田先生に、一体何のご用ですか」と訊きましたら、
 「うん、北高の校歌の作詞ば頼もうと思うてのう。文書での依頼は済んどっとばってん。きゅうはお土産ば持って挨拶に行きよっと」という答えでした。

 高田先生が、近代経済学の日本における草分けであることは知っていましたが、歌人であることまでは知りませんでした。
 「用件がお済みになったら、京都の町ば案内しましょうか」
 「うんにゃ、そのまま東京に行く。豊増昇さんに作曲ば依頼せんばけん」とおっしゃったのには驚かされました。

 というのも、豊増昇さんといえば、当時世界的なピアニストとして有名であり、日本初のバッハ会員であります。そんなお方に、田舎の一高校の校歌を依頼されるとは! 永井の伯父さんもたいしたもんだ、志が高いなぁと感心させられました。

 手紙文は以上です。
 少し解説をすると、高田保馬先生は小城郡三日月町出身の京都大学教授で社会学者としても世界的な泰斗であり、歌人でもありました。有名な歌として
       故里の山はなつかし母の背に むかし眺めし野火のもゆるも
があります。昭和47年に89歳で亡くなりましたが、現在も三日月町名誉町民として尊敬され顕彰会が結成されています。

 豊増昇さんは佐賀市のご出身で、東京芸術大学の教授としても数多くの名ピアニストを育成されました。

 このお二人が、2年8カ月の歳月をかけ心血を注いで作っていただいたのが、わが北高の校歌です。完成したのが、第1期生の卒業式の一週間前であり、彼らはそれから毎日特訓させられたと聞いています。以来、この校歌を唄って卒業した人が、今年の3月で18,189名に上ります。つまり、同窓会「北楠会」の会員であり、君たちの先輩であります。

 このような次第で、北高の校歌は歌詞の質といい、旋律といい、どこよりも立派な格調の高さと品位があります。これを機会に、誇りをもって、校歌を愛してください。

 最後に、校歌にふさわしい学校の生徒として、始業式にお願いした「正しいことが、正しく行われる学校」づくりに協力してください。
 以上をもって、開校記念日の講話といたします。
 


[1270] RE:明けましておめでとうございます。 Name:木村 3組 Date:2018/01/05(金) 11:11
 校歌のYouTubeの貼り付けを失念しておりました。
 以前の北楠会のホームページには、校歌、讃歌、逍遙歌が曲として載っていたのですが、今のホームページでは詞しか見つけることができませんでした。
 なお、スライドの中の校舎や校庭は在校当時のものが使われています。
 また、校歌は4番までありますが、世界平和を歌った4番の歌詞がいいと言われています。
https://www.youtube.com/watch?v=lL2i1DKg3dw


[1268] 卒業45周年同窓会のビデオです。 Name:木村 3組 Date:2017/12/31(日) 06:36 [ 返信 ]
 佐賀北高校1期生の部屋を訪問したら、3期生の卒業45周年記念同窓会の余興のビデオがアップされているのをみつけました。
 45周年で、今年の50周年ではありませんので、為念。

◎佐賀北高3期生 卒業45周年記念同窓会 余興"あの時君は若かった
https://www.youtube.com/watch?v=32aVCMRdNqk

◎佐賀北高3期生卒業45周年記念同窓会余興 "千手観音"
https://www.youtube.com/watch?v=Ygn5U35udQE


[1267] どうでもいいい話です Name:木村 3組 Date:2017/12/30(土) 10:51 [ 返信 ]
 50周年記念同窓会のビデオがアップされたと連絡をした人から、「ビデオはアップされたその日に見ました。ありがとうございました。同窓会の翌日には、佐賀城本丸歴史館を見に行き、佐賀藩の幕末維新時の偉大さをガイドさんの説明を聞いて勉強しました。」と、メールが来ました。

 他の方からも、同窓会前後に県内各地を散策したとお聞きしました。
 九年庵や大興禅寺などの紅葉を楽しまれた方や、花より団子とばかりに呼子にイカを食べに行かれた方など様々だったようですね。

 ところで、佐賀城本丸歴史館の中庭には、七賢人の一人第10代藩主鍋島直正の銅像があります。
 来年は明治維新150年です。是非一度足を運んでいただき、当時の息吹を感じてください。

 知ったかぶり「二つの銅像園」

◎佐賀城本丸歴史館鍋島閑叟公銅像
 10代藩主鍋島直正(1814〜1871)の生誕100年にあたる大正2(1913)年、大隈重信が中心となって県内外から多額の寄附を募って、高さにして4メートルの銅像を佐嘉神社の西側に建立した。
 しかし、その30年後の昭和19(1944)年、太平洋戦争の末期に銅や鉄が不足したため、直正の銅像も供出された。
 それから73年が過ぎた2017年3月4日、県内外の有志の浄財により新たに鍋島直正の銅像が建立された。
※閑叟は直正隠居後の号である。また、松原商店街を含む一帯を松原の銅像園と称していたのは、この銅像があったことに由来する。

◎多布施の銅像園
 佐賀市内には、松原の銅像園以外にも「銅像園」と呼ばれていたところがあった。
 鍋島直正の銅像建立から11年が経った大正13(1924)年11月、曹洞宗日峰山宗智寺(佐賀市多布施4丁目4番3号)の境内に、佐賀藩祖鍋島直茂の銅像が建立されたことから、松原の銅像園に対して多布施の銅像園と称されていた。
 場所は、大正5年に創立された佐賀紡績株式会社(後の大和紡績佐賀工場、現在はどんどんどんの森となっている。)の西側で、ここには、大正12(1923)年9月に造られた九州初の50Mプール(通称多布施プール。今は跡形もなし。)があり、旧制佐高の水泳部が練習に使っていたが、学校があった本庄村十五畷からは徒歩で往復1時間もかかり遠かったことから、大正15年、学内にプールが作られた。
 なお、直茂の銅像も閑叟の銅像と同様に、太平洋戦争末期に応召供出された。
 また、山号の日峰山及び寺号の宗智寺は、直茂の法号日峯宗智大居士に因んだものである。(藩祖直茂が祀られている松原神社を日峯さんと言うのも同様です。) 

 序に、神野町草場の「開かずの踏切」から、後に開通した貫通道路「辻の堂」までを「紡績通り」と称していたのは、この大和紡績に由来する。


[1260] 50周年同窓会のビデオをアップ! Name: 管理人 Date:2017/12/26(火) 15:14 [ 返信 ]
・・・・・・・・・・・・・
 
50周年同窓会のビデオ編集が、最低限の段階ではありますが、とりあえず終了です。

何が最低限かというと、私が欲しいと思っているビデオ映像の画質がいま一つ。
撮ったビデオカメラが家庭用なので仕方ないといえば仕方ない。

特に「あいさつ部分」などの録音があまり良くないけど、そこは費用をかけずに制作した分、ご了承ください。
(離れた場所から撮ってるからネエ)

         ……………
    
以下のURLよりご覧ください。(誰が主役という事ではありません。37分ほどの大作?です。)

YouTube画面になったら、画面右下のマークから全画面にしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=W-eKU6Ies5A

・・・・・・・・・・・・・・・


[1261] RE:50周年同窓会のビデオをアップ! Name: 管理人 Date:2017/12/26(火) 15:55
・・・・
このビデオを拡散するには、どうしましょうか。
まず、3期生の部屋をご覧になった方が、良ければお友達に教えてください。
あとスマホでも視聴出来るので、URLをメールでお知り合いなどに送ってもらってもOKです。
・・・・


[1262] RE:50周年同窓会のビデオをアップ! Name:木村 3組 Date:2017/12/27(水) 08:17
 上野さんお疲れ様でした。
 私もアドレスを承知している方に、アップされたことを連絡しました。


[1263] RE:50周年同窓会のビデオをアップ! Name:shinko Date:2017/12/28(木) 09:51
ここんところ、寒いですね。
上野さんと編集してくださったみなさん、ありがとうございました。楽しく見ました。これを見た私の友人の数人から、編集者に対する感謝のコメントがありましたが、きっと上野さんたちには伝わらないと思うので、代表して「ありがとう」です。

たくさんの写真の中からいい表情を探してくださって感謝です。(中にはこのアップちょっと辛いというのもありましたが)・・・大変だったと思います。

あ、木村さんいつも投稿されているのをみて、楽しんでいます。三期の部屋はよく投稿されてるので、時々見てるという先輩がいます。無理のない範囲でよろしく。

いろいろあった2017年でしたが、後数日で新しい年を迎えます。よいお年を。


[1264] RE:50周年同窓会のビデオをアップ! Name:木村 3組 Date:2017/12/28(木) 14:54
 卒業50周年記念ビデオがアップされたことを連絡した方から、メールが参りましたので転記します。
 いずれも、昨日(27日)もらったものです。
 なお、掲載文は、ほとんど原文のままですが、一部加工しました。不悪。
 また、他にも見ましたというメールが数通来ております。

◎メールを頂き、有り難うございます。所用が有り50周年同窓会に参加出来ず、失礼しました。3期の部屋を見させもらっています。ビデオ見ます。

◎連絡ありがとうございます。早速、見てみたいと思います。

◎こんばんは!名前がなかったので怪しいメールと認識され、警告が出てたので、同級生にTELして名前が分かりました。昨夜、既にビデオ見ましたよ。

◎見ました。ありがとうございます。

◎ご無沙汰してます。先程頂いたメールより、早速同窓会ビデオを38分観て、今、画面を大きくして2回目を観てます。
1回目は関東で会う人以外はほとんど誰だか分から無いけど、2回目だと数人が思い出して来ました。
私は出席出来なくて残念でした。実行委員の人達のご苦労を思うと大変申し訳なく思います。
3期会は最後ということですが、関東では今後も皆さんとお会いしたいと思っています。

◎お知らせ有り難うございました。佐賀ではお世話になりました。どうぞご自愛され、よき年をお迎えください。

◎見ましたよー。皆さん楽しそうでしたね。男性は誰だが判らない人が大勢でした。編集大変だったでしょうね。実行委員会の皆さんお疲れ様でした。

 みなさん有難うございました。
 この3期生の部屋か賑やかになるよう、書き込みをよろしくお願いします。
 


[1266] RE:50周年同窓会のビデオをアップ! Name:木村 3組 Date:2017/12/29(金) 09:25
 昨日、編集された上野さんを労うメールが来ましたので紹介します。
 
◎こんばんは。
 3日間程留守をしていて、やっと動画を見ました。膨大な量を編集するのは大変だったでしょうね。いつの間にか50年ですものね。一日一日、大事に過ごさなきゃね。これからもよろしくお願いします。


[1265] 書き込みをしませんか Name:木村 3組 Date:2017/12/28(木) 21:19 [ 返信 ]
 この3期生部屋への書き込みは、決して難しいものではありせん。下記手順でどしどし投稿してください。

@新規投稿をクリックしますと、新規投稿フォームの画面が出てきます。
A先ず題名を記入してください。必須です。
B本文の欄に、思いを書き込んでください。
Ce-mailは記載しないでください。迷惑メールのもとになります。
Dパスワード(4桁の数字)は必ず記入してください。これがないと記事の修正や削除が出来ません。
E文字色は好きな色に、チェックを入れてください。
Fプレビューにチェックを入れ、投稿するをクリックしますと、投稿と同じ状態の画面が出てきますので、誤字脱字のチェックや体裁が確認できます。
Gプレビューで問題がなければ、もう一度投稿をクリックすれば完了です。
H投稿後に記事修正・削除をしたいときは、記事修正・削除をクリックしたうえで、記事ナンバー、パスワードを記入し、修正の場合には修正を削除の場合には削除をクリックしてください。


[1259] メリークリマス Name:木村 3組 Date:2017/12/24(日) 10:17 [ 返信 ]
 今日はクリスマス・イブです。
 夜は、教会のミサに参列し、心静かに祈りを捧げます。決して佐賀ん町を酩酊状態で彷徨うような不謹慎なことはしません。
 クリスマスには雪が似合います。つい先日、佐賀にも雪がチラチラしましたが、それはほんの束の間でした。

 ホワイトクリスマス 今日はカーペーンターズでどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=vPfbycXmIrU

 サラ・ブライトマン アベ・マリア 映像の選択に他意はありません。不悪。
 https://www.youtube.com/watch?v=roljxa0-8yU

 ついでに
 Time To Say Goodbye どこかで聞いたような曲です。(健康食品のCM?)
 https://www.youtube.com/watch?v=6owI1uSsd40


[1255] 女子バスケット部ウインターカップ出場 Name:木村 3組 Date:2017/12/22(金) 07:09 [ 返信 ]
 佐賀北高校女子バスケットボール部が「ウィンターカップ2017」に出場します。北高の出場は3年ぶり4回目です。
 試合は、明日12/23に東京千駄木の「東京体育館」で行われ、時間は15:40(予定)、コートはAコート、相手は広島県立皆実高校です。
 北高は、地元佐賀の大会では佐賀清和と常に優勝を争っていますが、全国大会となると中々勝てません。一方、広島皆実高校は2年連続20回目の出場ですが、過去ベスト4以上の成績は残していないようです。
 関東在住の方、時間がありましたら応援をお願いします。

 以下は、財団法人日本子バスケットボール協会ホームページより

 本年12月23日(土・祝)から29日(金)の期間、東京体育館(東京都渋谷区)において、「ウインターカップ2017 平成29年度 第70回全国高等学校バスケットボール選手権大会」を開催いたします。
 インターハイ、国体とともに高校バスケットボール界の三大タイトルである本大会は、高校最後の王座を争う大会と位置づけられており、日本代表などで活躍する選手を数多く輩出しています。
 また、今回より、夏季に行われていた全国高等学校選手権大会を、冬のウインターカップへ移行し、高校バスケットボール界の最高峰の大会として開催いたします。なお、大規模な改編は来年度以降からとし、今年度については従来の選抜優勝大会から選手権大会へ大会名称を変更したうえで、男女各50校が日本一を目指して熱戦を繰り広げます。
 


[1258] RE:女子バスケット部ウインターカップ出場 Name:木村 3組 Date:2017/12/24(日) 08:06
 昨日行われた1回戦で、広島皆実に43ー70で敗れました。
 1、2年生が4人出場したそうですので、新チームの活躍に期待しましょう。


[1257] 早いもので23日です Name:木村 3組 Date:2017/12/23(土) 10:04 [ 返信 ]
 今日は23日、流石に年の瀬ですね、街中が慌ただしくなってきましたが、忙しい中にあってもほっとするひと時が必要で、それにはやはり音楽ですかね。
 それと、今朝のNHKで県庁展望ホールのアート県庁プロジェクト「星空のすいぞくかん」を取り上げていました。
 統一性のない選曲で、私の頭の中が疑われそうです。

シルクロード(絲綢之路) 喜多郎
https://www.youtube.com/watch?v=oU7JWTtJaL4 

「賛美歌312番 いつくしみ深き」
https://www.youtube.com/watch?v=d_ZHBmexctc

「賛美歌第2編167番 アメイジング・グレイス」 
https://www.youtube.com/watch?v=5giru8UIEeQ

さらば青春 小椋 佳
https://www.youtube.com/watch?v=pSV9vAeU16g

夢をあきらめないで 岡村孝子
https://www.youtube.com/watch?v=6rByj71yURY


[1256] 佐賀の見所です。 Name:木村 3組 Date:2017/12/22(金) 09:42 [ 返信 ]
◎伊発祥のウェブマガジン 御船山アートが世界トップ10 「アートショーの概念覆す」

 技術者集団チームラボ(東京都)が御船山楽園(武雄市)で展開していたデジタルアート展が、世界で最も歴史のあるアートウェブマガジン「デザインブルーム」によって、2017年のトップ10インスタレーション(場所や空間全体を作品として体験させる芸術)に選ばれた。

 10年前には年間約9千人と落ち込んでいた御船山楽園の来場者数は、今年30万人を超えた。最先端の技術と伝統の庭が融合した展示が、国内外から観光客を呼び込む起爆剤となっている。

 選ばれたのはチームラボが今年10月まで同園を舞台に開いたデジタルアート展「かみさまがすまう森のアート展」。人の動きに合わせて変化するCG作品など14点を設置して自然とアートの融合に挑戦し、3年目を迎えた。アメリカのCNNテレビなど世界中のメディアで取り上げられ、伝統的な庭に新たな価値を加えている。

 同サイトは1999年にイタリアで創刊され、世界中のアートや建築、デザイン関連の出来事を紹介している。同展はサイトが毎年選ぶトップ10インスタレーションの中で世界的アーティストと肩を並べ、「通常のアートショーの概念を覆す」展示として紹介された。

 チームラボ広報は「佐賀は初めて大規模展を開いた場所で、思い入れがある。展示が世界中の人が佐賀に足を運ぶきっかけになればうれしい」と話す。

 企画に携わった御宿竹林亭の小原嘉久代表(42)は「来年も同じ規模で計画していきたい。世界で評価を受けたことは、次に向かう原動力になった」と喜びを語った。

※このデジタルアート展は、今年の7月14日〜10月29日まで開催されました。
 来年も同時期に開催されると思いますので、この期間に帰省(来佐)される機会があれば、是非鑑賞してください。

http://www.saga-s.co.jp/articles/-/162596

https://www.team-lab.com/news/mihuneyama2017-3


[1253] あと2〜3日 お待ちください。 Name:管理人 Date:2017/12/21(木) 12:32 [ 返信 ]
・・・・・

うちの会社、この10日間ほどかなり多忙!
ご存知かどうか分かりませんが、正月の新聞は特別紙面で構成されています。
広告も同じで、クリスマスの頃までにかなりの量の原稿を作ります。

同窓会のビデオ編集は、どうしてもその後になる。
うちのスタッフも気にしてるようで、休日だけど次の土曜日に作るようです。

実際は一度終了していますが、私が修正を指定したので修正が滞っています。
と言うことで、済みませんがビデオを見てもらうのは日曜日以降になると思います。

・・・・・


[1254] RE:あと2〜3日 お待ちください。 Name:木村 3組 Date:2017/12/21(木) 20:27
 上野さんお疲れ様です。
 広告の出稿が多いということは、商売繁盛で何よりではないですか。
 そんな中での編集作業は大変だと思いますので、年内に拘わらず、年明けでもいいのではないでしょうか。
 ただ、この部屋に貼付けてもYouTubeに貼付けても、そのことの3期生全員への周知方法を考えないといけないですね。


[1252] 注連飾り Name:木村 3組 Date:2017/12/20(水) 12:51 [ 返信 ]
 どうでもいい話をお一つ。

 正月を迎える準備は進んでいますか?
 もう注連飾りは買いましたか?

 先日、知り合いの元県立高校の校長に佐賀ん町でばったり出会ったら、「今、なんばしょっね。」という年寄りならではの会話となり、私が「何んもせんで、一日ぼーっとしとります。」と言ったところ、「そりゃいかん、何んないとせんばぼくっばい。おいは、なんじゃいかんじゃいしょっぱい。きゅうは、子どんに注連飾いの作い方ば教えてきたばい。」と、講釈を垂れられました。

 その注連飾りで思い出したことがあります。
 天草では(全地域ではないと思います。)、一年中注連飾りを家の玄関に飾る風習が今も残っているそうです。これは江戸初期、キリスト教の弾圧が厳しかった時代に「私(私の家)はキリスト教ではなく、神道です」という意地表示のために飾っていたという説と、隠れキリシタンが、キリスト教を信仰していることをカムフラージュするために飾っていたという説があるそうです。
 平戸の年寄りは、しめ飾りは一年を通して飾るものと思っていて、他所はなぜ外してしまうだろうかと、不思議に思っている年寄りの方もいるそうです。

 先月、平戸島に行ったのですが、玄関に注連飾りが飾っている家がありました。恐らく通年だと思いますし、理由も天草と一緒ではないでしょうか。

 実は、佐賀工業高校の前の自転車屋さんも、数年前に気づいたのですが、一年中注連飾りを飾っています。何故なのか、天草と同じ理由なのか聞いてみたいと思うのですが、生来の人見知り故に未だに聞けずにおります。

 ところで、お寺さんも注連飾りは飾るのでしようか。宗派によってはあるかもしれないですね。


[1249] 50年前の佐賀北高新聞その@ Name:木村 3組 Date:2017/12/15(金) 07:58 [ 返信 ]
 50年前の佐賀北高新聞 その@

 この部屋に貼られた3期生卒業50周年記念同窓会の写真を見ていて、名前を思い出せない人がいましたので、卒業アルバムを引っ張りだして見比べましたが、わかりませんでした。
 それはいいのですが、アルバムの中に、3期生の卒業式があった昭和43年2月14日(水曜日)付け発行の「佐賀北高新聞」が挟まっていました。
 そこには、永井校長、高添教頭をはじめ各クラス担任の含蓄のある「餞の言葉」が載っています。
 先生方の当時の年齢をはるかに通り越して、今や古希を迎えようかという私たち、しかも、ほとんどの人が社会の第一線を退いていることを考えますと、何を今さらと思いましたが、ボケ防止の為の指先運動として転記しました。不悪。

◎苦境のときこそ希望を 学校長 永井茂雄
 何事にも苦しいときには、むしろ希望を持つような人は立派だと思います。人生にはいろいろありますが、曇の後にはまたきっと晴もある。いや、それのみでなく落ちついて長い目で見ると、自らは望まない曇の日が、実は晴の日の喜びをさらに大きくし期せずして人生に味のある抑揚を与えているのです。人目には何一つ不自由のない人間が、あんがい人生に退屈し、もがき求めている姿を見るとあまり単調な人生より、多少は困ることがあってもやはり変化のある方が面白いのではないでしょうか。

 見ようによっては、こういう考え方は一種の「あきらめ」ではないかとも言われましょう。だが、あきらめにもいろいろあり、やるべきこともやらずに手をこまねいて「世の中はままならぬ」などとうそぶいているような態度は取るべきではありません。あきらめとは本来物を明らかに見るということで、これから転じて道理に従って思いを断つということにもなり「人事を尽くして天命を待つ」ということにもなるのです。われわれは大宇宙の中で、しばし命をとどめる旅人として、心静かにそれぞれ与えられた役を精一杯の力で果たそうではありませんか。

 隣の花はきれいに見えるというが、人間が素朴な美しい心を失わぬ限り大きな目から見れば地上の差別などは、それほど本質的な意味のあるものとは思われません。門番をしても王より偉い人もありましょう。心の喜びを喜びとして手を取りあって明るい心で、この人生を生き抜いていただきたいものです。苦しい時にこそ奮い立つ希望をもって、たくましく目標に向って邁進してください。

 高添教頭以下各クラス担任等のことばは、紙面の都合上次回に回します。

◎他には先輩から後輩への言葉が載っていますが、全クラスではありません。?と思わず、素直に読んでください。

11組 渋田順二
 「山があるから登る」ではだめだ。山が向って来ぬから登るのだ。

10組  
 日に日に新たに−何かに思い切りぶつかりたい。たおれてもいいまた新しい力が出てくるだろうから。努力したい。進みたい。自分の信念を貫きたい。いつもほほえみをもって。

 7組 立石健二
 「我事において後悔せず」というような気持で毎日の生活を有意義に送ってほしい。

 9組 糸山芳則
 青春は苦しめば苦しむほどなつかしい。すべてに悔いのないように頑張ってください。

 3組 記載に値せず。 


[1251] RE:50年前の佐賀北高新聞その@ Name:木村 3組 Date:2017/12/19(火) 09:32
 おはようございます。
 50年前のものを保存していたとは、驚きだ。ただ、10組は名前が抜けているし、3組は名前も言葉もないが、載せないのかというメールが来ました。
 10組の女性について、ご本人が面映ゆいのではないかと忖度(使い方は正しい?)して、名前を記載しませんでした。
 また、3組については「記載に値せず」以上でも以下でもありません。


[1250] 50年前の佐賀北高新聞 そのA Name:木村 3組 Date:2017/12/16(土) 06:54 [ 返信 ]
50年前の佐賀北高新聞 そのA

◎新しい人生の門出に 卒業生に送る

教頭 高添泰巌先生
 人生は長い−これもまた確かに人生の相の一面。早まっては事をし損ずる。あせるまい。あわてまい。事はじっくり取り組んでやろう。

1組担任 片桐武男先生
 「不仕合わせの時草臥るる者は益に立たざるなり。」葉隠聞書より。…

2組担任 小出芳憲先生
 卒業とは行をおえることではなくて、これからの人生のスタートであるということと、どんな途に進もうとも眉をあげて堂々と進んで貰いたい。人生山脈の起伏を、ニッコリ笑ってのりこえよう。

3組担任 高島 深先生
 現代は知識とその運用を全ての人に求めている。生涯を通じて常に知識を学んで行かれよ。
 Want of modesty is want sense

4組担任 小宮睦之先生
 小さな親切や善意に感謝する心と、常に最も身近にいる人に対するいたわりの心だけは失いたくないものです。

5組担任 重吉円二先生
 著しい科学の進歩による文明社会の変化にとり残されないように常に大きな希望をもって、真理の探究に努め、将来文化国家の担い手として有意義な清潔な人格の陶治に励み、常に自己を研さんし良き社会人となるよう希望します。

6組担任 堤友子先生
 女生徒に申す「家事のインスタント化にまどわされず、手作りの味が家庭にどんな働きをしているかをよく見さだめ、愛情深き家庭をきずくよう自分を育ててください。」

7組担任 内田義男先生
 洋々たる未来に向かって大きくはばたく今日の門出の日は美しいもの、心よりお喜び申し上げます。とかく人の世は喜怒哀楽あって面白いもの。自己の人生行路にも幾多の浮沈がありましょう。しかし、知と理と勇気をもって、しかもたゆまない努力を惜しむことなく一歩一歩ふみしめて進まれることを期待します。

8組担任 池末孝郎先生
 人生そのものが一つの大事業です。それだけに力みすぎてはいけないと思います。常に、自然との、絵との、詩との、とりわけ、自分自身との対話を。

9組担任 久保良治先生
 男は、どこまでも強く正しく、自分自身を最後のたのみとして、限りなき前進を続けられたい。女はやがて妻となるが、いつまでも美しく暮らし続け、母となってはあくまでも強く生き抜いてください。

10組担任 江頭太助先生
 21世紀になる時、君達は50台が始まる。「論語」は天命を知れと教える。生活の姿こそちがっても、それが未来に生きる君たちの最大の目標でなければならない。

11組担任 山田健吾先生
 「笑う門には福きたる。」長い人生だ順風の時はもちろん、逆境の時も笑いを忘れてはいけない。そこに冷静な判断が生まれ、やがて光明の瞬きを見出すだろう。

12組担任 平川済一郎先生
 「着眼大局着手小局」これは、常に何が大事で何が大きな目標であるかを着眼すると同時に、反面自分の足元を見、コツコツと確実に事を成すといったことだろうと私なりに解釈している。人生を処する点においても共通した妙を言い得た言葉だと思う。諸君の前途も「着眼大局着手小局」たらんことを望む。

13組担任 飯盛 敦先生
 卒業おめでとう。しかし、卒業とはいえ、単なる人生の一過程にしかすぎぬ。思うに諸君の人生行路は実にこれからなのだ。更に自重自愛して自己完成に励まれるよう。 

 他に、用務員、食堂の調理師、校医(眼科)、自転車屋、中折食堂、中島食堂の皆さんからの言葉も載っています。


[1246] 同窓会のビデオは来週の水曜・木曜日頃 Name:  管理人 Date:2017/12/14(木) 18:45 [ 返信 ]
・・・・・・・・・・・

11月16日の50周年同窓会のビデオ作成の件、
写真の整理とビデオ撮影の整理がほぼ終わりました。

私が担当するシナリオ作りと編集は大まかに終わっていますが、何せ今回のビデオ作りは
ボランティアなので、実際に制作するうちのスタッフが仕事の合間をぬって作っています。

また、写真そのものは何とか大丈夫ですが、ビデオ撮影などは素人が撮っている…と言うか
カメラが家庭用なので、どうしても品質がいま一つ。

まあ、そこらへんはご勘弁ください。

とりあえず制作についても一通り終わりつつありますが、修正する部分が10〜15%くらいあるので
出来上がりは来週の水曜・木曜日頃になります。

よろしくお願いします。

・・・・・・・・




[1248] RE:同窓会のビデオは来週の水曜・木曜日頃 Name:木村 3組 Date:2017/12/15(金) 06:53
 上野さんお疲れ様です。
 出来上がりが楽しみです。


[1247] クリスマス・イブを差し替えました Name:木村 3組 Date:2017/12/15(金) 06:51 [ 返信 ]
 12/1に貼り付けました山下達郎のクリスマス・イブについて、「この動画に関連づけられていたYouTubeアカウントは著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたため、削除されました」とあり、再生できませんので、牧瀬里穂バージョンに差し替えます。

 牧瀬里穂は、福岡生まれですが、父親の転勤で小学校は佐賀市立高木瀬小学校、中学校は佐賀市立城北中学校を卒業した後福岡に戻り、福岡女学院に進学したため、出身は福岡とされています。

 ただし、はなわの「佐賀県」では、「牧瀬里穂も佐賀県」と苛じられています。

https://www.youtube.com/watch?v=_8owydQcpw8


[1245] アルハンブラの思い出 Name:木村 3組 Date:2017/12/14(木) 11:04 [ 返信 ]
 余り面白みのない話が続いたので、気分転換に音楽の話です。
 
 昔、TBSラジオの番組に「永六輔の誰かとどこかで」というのがありました。永六輔がそのときどきの世相批評をしながら、自分の思ったことや感じたこと、旅で歩いた土地の様子などを語る番組でした。

 その番組の中に、毎週金曜日(当初は土曜日)だけ放送される「7円の唄」というコーナーがあり、リスナーから投稿されたちょっとした日々の生活の様子や風景などを紹介していました。
 放送当時(1967年)ハガキ1枚の値段が7円だったことから、この名前がついたそうで、永六輔と遠藤泰子アナウンサーの二人でハガキを読み、それぞれに感想を言い合うものでした。

 このハガキを読むときにBGMとして流れていたのが、タレガの「アルハンブラの思い出」でした。

 その後料金値上げに伴いコーナー名は「50円の小言」に変更されました。

 検索しましたら、この番組は1967年1月に始まっていますので高校2年生のときです。当然学校に行っているはずなのに、金曜日AM11:38〜11:47までの放送をどうやって聞いていたのか、全く記憶にありません。

 卒業してからも、男浪花(むだばな)を経て、飲み代稼ぎに「でもしか公務員」をやっていましたので、ラジオを聴く時間なんてなかったはずなのに、この番組のことを覚えていること自体不思議です。

 でも、BGMで流れた「アルハンブラの思い出」のメロディーだけは、しっかりと記憶に残っていて、今も時々聴いています。

村治佳織 アルハンブラの思い出
https://www.youtube.com/watch?v=7llUA1_QHL0

ついでに、村治佳織 禁じられた遊び
https://www.youtube.com/watch?v=dxdrDK22CzE


[1244] 続々 北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/14(木) 10:34 [ 返信 ]
◎北高10年のあゆみ
 (1)開校まで(昭和37年度まで) そのB
 
 「大きな混乱が予想された27日の定例教育委員会は、佐高の分離問題について『3校とも自由志願で共学の高校とする』という予想外の結論を出し、あっけない幕切れとなった。その間わずか20分。動員の指令で集まった労組員も、警備のため配置された警察官もこの“肩すかし”にあっけにとられたかっこうだった。……」

 男女共学は堅持され、北高は女子校にはならなかった。しかし「自由志願」は学校格差という問題を残した。同年12月の県議会で議員が「@ある学校に志願者が殺到しある学校には募集人員にも満たないという現象が出るのではないか A野放し共学は必ず学校差ができる B中学で入学希望の選別をやって子供に劣等感を植え付けるのではないか」と質問している。教育長は「@予備調査などで事前に見極めて志願者数の不均衡がないようにしたい」と答弁。また県教委決定の翌日の毎日新聞には高教組委員長と昭栄中PTA副会長の話が掲載されているが、どちらも「西高に志願者が集中し、他は定員に満たなくなるのでは」とのべている。

 ところが、翌年2月に志願者を募ったところ、まるきり反対の数となった。佐賀西志願者462名(定員477、倍率0.97)佐賀北844名(定員636、1.33)佐賀東967名(477、2.03)。予想と違った形ではあれ自由志願のとがめが出たわけであり、県教委が北高9名、東高に6名、と定員を増やしこれらが県議会の議論の材料となった。総合選抜を主張した人たちからすれば「だからいわないことじゃない」わけで、別の県議らが自由志願の非を鳴らし総合選抜をあらためて主張して教育長を追求した。このことから、翌年から志願変更が認められるようになった。もっとも39年度入試からは中学校も自由志願対策になれて、募集定員割れはなくなり、せっかくの志願変更制もかえってわずらわしいものになった観さえ呈した。西・北・東の志願倍率には、大きな開きができた。

 西高の入試は中学段階ですでに終了している。それはある程度北高についてもいえる。中学での選別のしわよせをもろにかぶるのが東高であった。こうしたパターンはこの10年ほとんどかわらなかった。3校それぞれの男女比も、ごくわずかの変動があっただけである。 この項終了


 


[1243] 続 北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/14(木) 06:53 [ 返信 ]
◎北高10年のあゆみ
 (1)開校まで(昭和37年度まで) そのA
 
 佐高分離は昭和30年頃からぼつぼつ出ていたが、それを促進したのは生徒急増対策である。県内の各高校では、学級数がふえたり、1クラスあたり55名のスシ詰め学級になったりした。また新しい学校も続々誕生した。昭和37年度には唐津実業高校が唐津商業・唐津農業・唐津工業の3高校に分かれ、杵島商業高校が全日制となり、38年度には多久工業高校と牛津高校が独立している。佐賀高校の場合2校舎では収容しきれないので、第3の校舎が必要である。それに城内と中折では、いずれ分離は避けられない。問題は分離の方式である。
 
 昭和36年11月17日開かれた高校長会に、県教育委員会は男女別学の案を示して意見を求めた。このことは県の教育界に大きな波紋を広げただけでなく、県民一般に突如として、大きな時事問題を提供した。36年11月の佐賀新聞はこの問題で10日間の紙面に紙上討論会を連載しているが、そこで出された意見は @男女別高校 A進学校と女子高 B学区制 C総合選抜制 D自由志願の5つの案に分けることができる。さらにいえば ⓐ1校は女子高 ⓑ均質分離 ⓒ自由志願の3つとしてもよい。11月20日の佐高職員会議は3時間をこえる激しい討論のすえ、「均質分離」が、男女別学論をしりぞけた。もっともその差が僅少であったことから、西村芳雄校長は、賛否ほぼ同数ということで外部には対処した。生徒会総務委員はアンケートをとって、「均質分離が過半数。男女共学 望む」と校長に伝えた。

 高教組は「別学反対均質分離」を方針として、県教委に抗議した。栄城会は別学推進。佐高同窓会は均質分離という方針。郁芳会(佐高女同窓会)・成美会は共同で西村佐高校長に別学反対を申し入れた。もっとも成美会が「北校舎は女子高に」という意向をもっていたように、この「別学反対」は西高を男子だけにすることに反対という意味が強い。別学問題は佐賀市だけでなく唐津・三神地区にも及んだ。これらの地区の前身が女学校の高校は将来女子校への方向をとることが示唆されたのでいずれも深刻にうけとめた。神埼高校は生徒会が直接教育長に別学反対の陳情をし、鳥栖高校生徒会・新聞部も教育次長を招いて、事情を聴き別学反対の意見を述べた。このような情勢の中で県教委は11月、12月と結論を出さず、翌37年1月8日の委員会で、分離問題を当分見送ると決定して問題をいったん白紙に戻した。この問題は鎮静し、北高のスタートは難航して1年延びたのである。

 白紙還元で鎮静化した世論が、再び煮えたぎる時が来た。昭和37年10月26日、佐高職員会議は「北校舎を女子高校、西校舎を男子高校、第3高校を男女共学」という案を過半数の支持できめ、県教委に要望することになった。男女別学問題が再燃した。ただ前年度と違って第3高校(佐賀東高校として実現)の開校が予定されていて、その分だけ案が複雑になってくるということである。高教組は総合選抜・均質分離をかかげて、別学に反対し、ビラはりや、セスナ機からの4万5千枚のびらまき。森教育長らに対する抗議や交渉などで最後までくいさがった。県総評・佐教祖・佐大教祖もこれを支持し、県総評は池田知事に会って、「県教委に共学を要請」するよう申し入れた。佐賀大学の堀部靖雄教授ら教官有志40数名は、「女子単独校をつくることに反対」などを声明した。県婦人連絡会「1校女子校、2校共学」、栄城会は別学分離、郁芳会と成美会は「3年後女子短期大学設置を条件に女子校1校、2校均質。この案がだめな場合、2校に家庭科コースをおいた均質分離」、佐賀市中学校長会は「北高を女子高、西・東は男子中心で総合選抜」、佐高生徒会は職員会議の別学案を42.2%の比較多数で支持。

 この間にあって、県教委は慎重な中にも「特殊な条件下では男女別学があってもよい、男子に比べ女子の入学難がある」「1校は女子校でもよいのでは」「高校教育の共学については専門家の間でも議論はある」と、別学実施を示唆していた。以上の論議の一つの焦点は、北校舎を女子高校にするかどうかということであった。
 11月19日付けの佐賀新聞にも北校舎本館全景の写真の説明に「女子高校になるか……佐賀北高」とある。教育委員会が開かれる直前の観測では北校舎女子校というみとおしが強かった。

 分離問題に決着をつける教育委員会は昭和37年11月27日、県警体育館で開かれたが、運命の日が近づくにつれ県内の空気は重苦しく緊迫してきた。高教組は一時は当日10割動員をかける予定であった。前の日の見込みでも高教組420人を中心に県総評など1500人が動員され、県警本部も機動隊のほか相当数の警察官を待機させるというものものしさだった。当日の佐賀新聞は社説でいっている。「この問題が県民世論の俎上にのぼったのは昨年の10月県議会以来のことだが、……各方面から蜂の巣をつついたような論争をまきおこし……きょうあたり、双方の出方では一騒動まぬがれそうもない情勢となった」。ところが、翌日の佐賀新聞は次のように報道することになる。 続く


※分離の方法は未定でも、校名としての西・北・東は決定していたようです。ただ、その点については明確な記述がありません。
※当時の生徒会が分離問題について積極的に関わっていたことが記載されていますが、私たちが当事者だったら、果たして同じような活動が出来ただろうか……。


[1241] 北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/13(水) 07:57 [ 返信 ]
 北高の話を真面目に書きます。
 佐賀県立佐賀北高等学校が開校するまでの一連の流れを、「北高十年誌」から転載します。一部割愛した箇所があります。不悪。

 ◎北高10年のあゆみ
 (1)開校まで(昭和37年度まで) その@

 佐賀県立佐賀北高等学校は昭和38年4月1日に開設された。佐賀市内唯一の公立普通高校として、旧制佐中・佐高女・成美以来の伝統を誇っていた佐賀高校が、この年から募集を停止し、かわって、市内に、佐賀東・佐賀西・佐賀北の3高校が一斉に誕生した。

 佐高は生徒数3000人のマンモス校として全国的に話題になったこともしばしば。各学年20組まであり、最後の学年にいたっては24組まであった。校舎は2つ(34年度までは3つ)に分かれており、例えば後援会総会の場合、総会を西校舎(今の佐賀西高校校舎)で行ったら、北校舎(今の北高校舎)関係の父兄は3キロ離れた北校舎に移動する。その際能率よく移動するために10台近くの貸し切りバスを使ったこともある。

 生徒総会は校舎別にしかできないし、ファィヤーストームのリーダーは西校舎から、1年生のいる北校舎に出向いて練習の指導。授業が終わってから自転車をこいでかけつけたら1年生の半分がもう帰っていたということもある。体育祭も2日かけなければ全生徒が参加した気になれない。生徒にとっては知らない先生がほとんど。およそ学校としては異常なものであった。

 佐高が手狭な城内を見限って、市街地の北西のはずれに北校舎を建設したのは昭和31年。本館中央入口のそばに「定礎1956・11」とほられた石がはめこまれているが、これは当時の鍋島直紹知事の書である。1年生全部を収容して新しい教育の場として活動を始めたのが32年。これ以来、佐高の1年生はすべて北校舎で教育を受けた。

 当時は、建物としては本館だけで、その中に、職員室から事務室・保健室・図書室・特別教室まであった。たとえば現106教室は職員室。現102・103は、ひとつのへやで、体育教室であった。その後本来の普通教室に戻したが、1年の2・3組の教室に、黒板横の棚がないのは、普通教室でなかった時代のなごりである。

 中折のこの地に場所を選定したのは昭和29年4月、当時、校長は宮田虎雄氏(現佐賀市長)であった。宮田校長を中心として佐高の将来についての構想がねられていたがいずれは分離ということで新しい校地が求められた。西校舎は動かないとして老朽の東校舎(現城内公園地内)や南校舎(現県総合庁舎)は狭い。そこで郊外が対象となった。将来の佐賀市は北または北西に発展する、とみた宮田校長らは、まず佐賀駅のすぐ北側に、次いで神野小学校北に土地を求めた。やや狭かったり、地主の反対で、これらの土地をあきらめた。ついで候補にあがったのが現在地である。当時の現在地のほとんどが水田であり、二筋の溝が南北に流れていたが、約5ヘクタールというまとまった土地で買収も有望であった。

 昭和32年当時は校舎もやっとできたばかり、グランドも現在の管理棟の南は、一段低くなっておりそこはたんぼ同然。しかもまだ溝が南北に2本通っていてグランドは一つにまとまっていなかったので体育の指導はやりにくかった。蛇が授業を受けに来たこともある。

 校舎だけはりっぱなもので、本格的な校舎建築としては県で最初の鉄筋校舎であり、以後の学校建築の、いろんな意味でテストケースとなった。外見は堂々としてしかもスマートであったが、数年後ひびがはいってきた。何しろ125メートルという長さの校舎である。基礎工事を3つぐらいに分けてやればよかったかもわからないが、いっぺんにやったものだから北側に2か所ひびがはいって水がしみこんできた。

 32年、県立高校としてははじめての鉄筋三階建ての校舎が松尾建設によって建築された。たんぼの中に、ウナギの寝床のような真新しい校舎が長々と横たわる。それだけの殺風景なキャンパスに、すがすがしい緑をそえたのはヒマラヤ杉であった。はじめてこの校舎を使う昭和32年度の佐高1年生が、発案して資金を出し合い植えたのが、本館南に1教室あたり一本立っているヒマラヤ杉である。植えた当時1.2メートル。いまはいちばん高いのは三階の床と同じ高さになった。

 その後特別教室南棟・同北棟・管理棟、体育館が完工してひととおり学校らしくなったところで、昭和37年5月26日出来上がったばかりの体育館で総合落成式が行われた。それまでの校舎建築費は1億6767万円(除く用地費)であった。

 この壮大な校舎は落成式早々、これからどういう学校の校舎になるか、大論争の渦中に引きこまれることになる。 続く

※当時の校舎は今は跡形もなく、建て替えられています。


[1242] RE:北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/13(水) 17:14
 友人(勿論3期生です)から、「北高の周りは田んぼが広がっていて、遠くに長崎本線が見え、電車が通るたびに車両の数を数えていた。始発のバス停(中折)の周りにはレンゲソウがいっぱい咲いていたが、多布施川沿いの桜は記憶にない。みんなが知っているのは驚きだ‼」というメールが来ました。
 確かに、南側には道路も人家もなく、少年刑務所の赤いレンガ塀が、教室から見えていました。
 長崎本線の特急さくら号の下りが11:30頃に通ると、昼飯でした。



[ HOME掲示板TOP一覧表示ツリー表示トピック表示新規投稿記事検索記事修正・削除携帯用URL管理用 ]

161件〜180件(全640件)  45679111213       <RSS>    【管理者へ連絡


無料レンタル掲示板・日記・ブログ WebSpace