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3期生の部屋

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[872] 試合は明日です。 Name:木村 3組 Date:2015/07/14(火) 13:03 [ 返信 ]
順延された今日の試合は、明日15日9時から「県営みどりの森球場」で開催されます。
 


[870] 残念、中止です。 Name:木村 3組 Date:2015/07/14(火) 07:33 [ 返信 ]
 本日、9時から「県営みどりの森球場」で予定されておりました佐賀学園戦は、雨天のため順延となりました。
 今後の日程は、これから検討するとのことです。
 ついては、雨傘番組ではありませんが、兄弟校(?)の話題を二つご紹介します。

●佐賀西高に関する話題

 佐賀西高では、同高4回生で元プロ野球選手(阪神、近鉄で活躍)の永尾泰憲氏が、野球部の常勤外部コーチに就任し、「EIJO(栄城)を甲子園に」という母校の悲願をかなえようと、毎日、グラウンドで後輩たちと汗を流しています。

 プロ野球経験者が学生を指導する場合、2年以上の教諭経験が必要ですが、1昨年7月に施行された新制度により、短期間の座学研修などで指導が可能となり、同氏は、1昨年研修を終え、昨年1月の適性審査を経て指導資格を回復しております。

 永尾氏は「母校の甲子園出場という目標に向かって本気で取り組みたい」として、大阪府から古里への“Uターン”を決断し、昨年11月末に佐賀市に住居を構え、福祉関係の仕事に携わりながら、同校野球部コーチとして本格的に選手を指導しています。
 練習では守備、走塁を中心に「今のプレーが全力か。もっと力が出せるぞ」と選手たちにげきを飛ばしています。

 佐賀西高は前身の佐賀中、佐賀高時代に計7度の甲子園出場経験がありますが、1963(昭和38)年に佐賀西高、佐賀東高、佐賀北高に分かれて以降は、夏の県大会決勝や秋の九州大会の壁に阻まれ続け、甲子園出場はありません。

●佐賀東高に関する話題 

 佐賀東高野球部(甲子園2回出場)が、2年生による1年生への暴力行為があったということで、日本高野連から厳重注意処分を受け、当事者である2年生部員全員の夏の大会の登録を見送り 1年生と3年生だけの登録で大会に臨むこととし、さらには、秋の九州地区高校野球佐賀大会の出場を辞退することにしました。
 
 5月上旬から6月6日に、「練習態度や言葉遣いがよくない」として、2年生4人が1年生9人の部員をたたく、蹴るなど暴力行為を行っているのを、顧問が目撃して不祥事が発覚したもので、6月6日から12日間、練習を自粛しました。

※佐賀東高は大会初日の第1試合で、唐津西高校に2対12で敗退しましたが、秋の大会出場を辞退し、夏の大会に出場したのは、3年生に対する配慮ではなかったかと思います。 

※2件の話題とも、佐賀新聞記事を基に記載しました。 


[869] 第17回北楠会関東支部懇親会まで、あと80日 Name:懇親会実行委員長 内田裕之 Date:2015/07/13(月) 09:40 [ 返信 ]
北楠会の皆さん。
梅雨明けまでいましばらく、北楠会関東支部懇親会までは
80日余りとなりました。
6月末に名簿を元に懇親会案内状を郵送いたしました。
転居や未着の方は以下のアドレスまでご連絡下さい。
連絡頂き次第、郵送いたします。

また、今回は16期以降の関東在住の方に案内することに注力しています。
クラブ活動等の後輩や知り合いの方に声掛けをお願いします。

hokunan17@yahoo.co.jp
懇親会実行委員長 内田裕之

[868] 暑い夏始まる Name:木村 3組 Date:2015/07/11(土) 13:25 [ 返信 ]
 歓喜の優勝から8年。

 今年も夏の高校野球佐賀県大会が今日から始まり、北高は、予定通りであれば14日に佐賀学園と対戦します。
 
 今年の大会は、秋の県大会とNHK杯を制した佐賀学園、春の県大会優勝の佐賀商、そして春の九州大会を制した龍谷など佐賀市勢を中心に優勝争いが展開されるというのが高野連関係者の評価です。

 北高は、残念ながら大会関係者の声は高くありませんが、高校野球は何が起きるかわかりません。
 初戦の佐賀学園戦を突破すれば、勢いがつくのではないかと思います。
 三パレ精神で、しっかりと戦ってくれることを期待しましょう。


[867] 北高校歌誕生秘話 Name:木村 3組 Date:2015/07/04(土) 17:29 [ 返信 ]
北楠会は今年設立50周年を迎え、来月8月9日には、記念の式典が予定されているようです。
そこで、今回は、北高校歌誕生の経緯について、古い話になりますが、平成9年度の開校記念日に、当時の校長先生がその話をされておりますのでご紹介します。

平成9年度佐賀北高校「開校記念日」講話 
1997年5月1日 (木)

「北高校歌」誕生秘話
校 長 西牟田  勲

 お早うございます。校長の西牟田です。
 本日は、佐賀北高校35回目の開校記念日です。昭和38年(1963)年5月1日に、全日制と通信性をもつ現在の北高になったのを記念して、この日を開校記念日としています。
 さて、昨年は、本校の中庭に咲いている「ハナミズキとワシントンの桜」の話をしましたが、きょうは、「北高校歌誕生のエピソード」を紹介します。
 私の友人に、唐津西高の世界史の先生で、久原閑という人がいます。彼は、本校の初代校長である永井茂雄先生の甥に当たります。昨年、彼から一通の手紙をもらいました。その一部を読み上げます。

 今度の北高校長は、校歌の作詞・作曲者の由来をご存じでしょうか。
 私が京都で学生だったとき、伯父である永井茂雄さんから、ある日電話が掛かってきました。
 「おっつあんな高田保馬先生の家ば知っとるかい?」
 「ハッ、はい。一度、大学の佐賀高校同窓会にお招きして、帰りに送っていったことがありますけん、案内はでくっです」と答えました。
 当日、駅まで永井さんを迎えに行きました。
 「高田先生に、一体何のご用ですか」と訊きましたら、
 「うん、北高の校歌の作詞ば頼もうと思うてのう。文書での依頼は済んどっとばってん。きゅうはお土産ば持って挨拶に行きよっと」という答えでした。
 高田先生が、近代経済学の日本における草分けであることは知っていましたが、歌人であることまでは知りませんでした。
 「用件がお済みになったら、京都の町ば案内しましょうか」
 「うんにゃ、そのまま東京に行く。豊増昇さんに作曲ば依頼せんばけん」とおっしゃったのには驚かされました。
 というのも、豊増昇さんといえば、当時世界的なピアニストとして有名であり、日本初のバッハ会員であります。そんなお方に、田舎の一高校の校歌を依頼されるとは! 永井の伯父さんもたいしたもんだ、志が高いなぁと感心させられました。

 手紙文は以上です。
 少し解説をすると、高田保馬先生は小城郡三日月町出身の京都大学教授で社会学者としても世界的な泰斗であり、歌人でもありました。有名な歌として
 故里の山はなつかし母の背に むかし眺めし野火のもゆるも
があります。昭和47年に89歳で亡くなりましたが、現在も三日月町名誉町民として尊敬され顕彰会が結成されています。
豊増昇さんは佐賀市のご出身で、東京芸術大学の教授としても数多くの名ピアニストを育成されました。
 このお二人が、2年8カ月の歳月をかけ心血を注いで作っていただいたのが、わが北高の校歌です。完成したのが、第1期生の卒業式の一週間前であり、彼らはそれから毎日特訓させられたと聞いています。以来、この校歌を唄って卒業した人が、今年の3月で18,189名に上ります。つまり、同窓会「北楠会」の会員であり、君たちの先輩であります。
 このような次第で、北高の校歌は歌詞の質といい、旋律といい、どこよりも立派な格調の高さと品位があります。これを機会に、誇りをもって、校歌を愛してください。
 最後に、校歌にふさわしい学校の生徒として、始業式にお願いした「正しいことが、正しく行われる学校」づくりに協力してください。
 以上をもって、開校記念日の講話といたします。
 


[866] レトロ館と美術館 Name:木村 3組 Date:2015/07/02(木) 15:35 [ 返信 ]
 「でもしか」公務員を辞めたあと、2年間は金融機関に勤めたのですが、どうにも馴染むことができず、一期2年で退任し自由人となっていた時期に、適当な文書を書いて知人に送信していました。そのときの文書が残っていましたので、暇つぶしに読んでください。

●レトロ館と美術館(2012.2.10送信)
 知人から、夜の佐賀の街を彷徨するだけでなく、昼間の佐賀の街も楽しめとご指摘を賜りましたので、昨日、久しぶりに昼間の佐賀の街を散策しました。

 先ず、一度も行ったことのなかった「レトロ館」を覗いてみました。
 レトロ館の建物自体に入るのは、古くてカビの匂いのした視聴覚ライブラリーがあった頃に、一度入ったきりですから、何十年ぶりでしょうか。

 改装された建物が、当時のものととどこがどう違うのかは全くわかりませんでした。
 ただ、見た限りでは、間取りなんかは当時のまま改装したのではと思わせる雰囲気でしたが、レトロという言葉のイメージからすれば、どこがどうということではありませんが、使っている建材とかテーブルとかに何となく物足りなさを感じました。

 1階と2階にそれぞれ来館者がいましたが、レトロ館に相応しく、私と同じようなレトロな人が大多数でした。
 若者はあまり行かないのかな。

 次に美術館で「野村昭嘉展」を見て来ました。

 昭和39年12月14日諸富町で生まれ、諸富北小、諸富中学、佐賀北高を卒業し、東京の専門学校で絵を習い、その後も東京で画家としての活動をしていたのですが、平成3年3月16日、自宅アパートにいた時、付近の工事現場で稼働していたクレーン車が倒れ、その下敷きとなって26歳でなくなった夭折の画家です。

 絵画を見る目というものを全くといっていいほど持っていない私には、野村氏の絵がどんなに素晴らしいものであるかということを表現することはできませんが、美術館で手に入れた1枚のパンフレットに野村氏の作品は
「太古の遺跡の壁画を思わせるような乾いた絵肌と、そこに浮かぶ生物と機械が融合したような不思議な物体に代表される」とあります。

 また、平成5年9月に発行された野村昭嘉作品集の帯封には、「野村昭嘉さんの絵をみて、かたちや色合いよりもなにか『空気』というものを感じた。彼のもっとも傍に優しく座っていたものか、はるか遠くの空の彼方に彼のはくぐむ思いとして横たわっていたのかは、もうどうでもいい。絵筆からスライドした模型の感情こそが、
彼の神の真実の絵だったといえる。」とあります。 

 実は、平成5年9月22日に「野村昭嘉遺作展」が美術館だったと思いますが開催されました。
 後援団体に北楠会も一員として加わっていましたので、私も出席しましたが、出席された方誰もが一様に野村氏の才能を惜しまれていたのを今でも覚えています。
 
 今日はここまで。そいぎんた。


[865] (願生此娑婆国土 がんしょうししゃばこくど) Name:木村 3組 Date:2015/06/22(月) 11:23 [ 返信 ]
●(願生此娑婆国土 がんしょうししゃばこくど)

 過日、知人の家族にご不幸があり、その通夜に参列しました。
 曹洞宗の御導師による通夜経が唱えられるのを目を閉じて聞いておりましたら、願生此娑婆国土という一節が耳に入ってきました。
 久しぶりに聞く一節で、この「願生此娑婆国土」という御経の一節を初めて聞いたのは、20年位前だったと思います。
 当時も今同様、子どもの自殺が問題となっておりまして、そんな時代背景もあって、お寺の住職で高校の教員をしていた知人から、教えてもらった言葉です。

 その意味を簡単に言いますと、
「人は願ってこの世に生まれてきたものである。せっかく与えられたその尊い命を全うせずして、自ら絶つということは、人のみちに外れる。精一杯生きなければならない」。こんな意味だったと思います。
 
 もっと深く、もっと詳しく御経の話を聞かせてくれたのですが、覚えているのは上記の言葉だけで、それだけ印象的な言葉でした。

 元高校長のこの御仁とは年に数回飲む機会がありまして、馬鹿話から青臭い話までするのですが、私には、いい刺激となっております。

 氏は、よく仏様の話をしてくれます。
 聞いたその時は、実にいい話だと思って感心するのですが、酒の勢いもあって、翌朝には、せっかくのいい話は頭のどこにも残っていません。
 ボンクラはいつまでたってもボンクラなのです。

 余談を。
 この知人のお寺は、城雲院という曹洞宗のお寺で、そこには、明治初期、第一大学区医学校(現東大医学部)校長を務め、ドイツ医学を導入し日本の医学の基礎を築いたといわれる「相良知安」の墓があります。

 

 


[864] 第17回北楠会関東支部懇親会の件 Name:内田裕之(14期卒) Date:2015/06/21(日) 11:36 [ 返信 ]
こんにちは、北楠会の皆さん。
昨日、名簿を元に関東近郊、日本全国各地にお住まいの皆さんに
第17回北楠会関東支部懇親会の案内状を約1300通を発送いたしました。
例年、200名以上が参加される盛大な懇親会です。
今期は、14期・15期卒業が実行委員です。
例年参加の古参組からちょっぴり不安な初参加の方
皆さんの参加を心よりお待ちしています。

日時:平成27年10月3日(土)17:00〜19:00
場所:品川GOOS(1F)TKPガーデンシティ品川

第17回北楠会関東支部懇親会
実行委員長 内田裕之(14期卒)

住所変更、未着等の場合は、下記アドレスまでご一報ください。
hokunan17@yahoo.co.jp

掲載の写真は案内状発送作業風景



[857] 6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 18:37 [ 返信 ]
九州北部も梅雨入り…しばらくはジト〜としとるんでしょうね。
北高三期会のメンバーも2〜3年前に比べても様変わりしとりますが、雰囲気は相変わらず○○○ばんた。

しもーた、全員集合の写真ば撮らんやった…と投稿する段になって気づいた風で、後のまつり 
ちゅうことで、まあ全体写真でも載せときましょうかね。




[858] RE:6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 18:40
もう1枚、逆方向からの全体写真。(右手前の人は、何ば見よんさっとやろか?)



[859] RE:6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 18:47
今年は幹事さんの発案で、メンバーの生年月日に合わせた「誕生日当日の佐賀新聞の記事」プレゼント!

なんでも、直近3カ月に誕生日ば迎えた人に配るらしかです。
小野幹事が持っとる大きめの封筒の中に、誰かの新聞記事掲載紙が入っとります。




[860] RE:6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 18:54
この掲示板にゃ、写真が1枚ずつしか載せられんので、ちょこっと工夫して
なるべく多めに写真を載せるようにしましたバイ。

ところで、夏には北楠会設立50周年式典がある訳で、枝國同窓会会長もまだまだ活躍しとります。
「出来るだけチケットも買うて、広告も出してくんしゃい…」と話し中!




[861] RE:6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 19:01
写真・記録班もせからしかア!
(と、何故か知らんがいつの間にか管理人が記録班になっとります。)




[862] RE:6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 19:04
これで少し写真も多く掲載できるとですが、単純作業がなくなった分、やっぱい…せからしか〜。



[863] RE:6月の集まりは28名? Name: 管理人 Date:2015/06/05(金) 19:09
と、今回は二次会に多数の参加があったとですが、
もう写真ば撮っとが面倒かったんで、店のおねえちゃんに頼んだとです。

はい、載せてもよさそうな写真ば1枚だけ載せまっしょ!




[856] 次はペルー、さらにはメキシコへ行く理由とは Name: 管理人 MAIL Date:2015/06/04(木) 17:51 [ 返信 ]
人類の歴史=猿人ではなく、約200万年前のジャワ原人・北京原人・ネアンデルタール人……などから始まった、
「人類」と言われる人間の歴史は、数回にわたって壊滅したのではないかと思われる形跡を地球上に残しています。

現在の地球上の人間だけが「人類」とは決して言えない証拠を見てみたいのです。

                 ……………………………

次回(来年)、ピラミッドよりもっと大きな巨石を使った古代遺跡を訪ねて、ペルー、出来れば一部ボリビアへ。
(もちろん、建造物の規模ではピラミッドが最大!)

そこには ●サクサイワマン遺跡 ●オリャンタイタンボ遺跡 ●テイアワナコ遺跡など、
巨大な岩をいかにも簡単に、そして驚異的に精巧に組み合わせた古代遺跡があり、私にとっては実物の確認が必要です。
(マチュピチュはオリャンタイタンボ遺跡に位置的にも近いようです。)

さらにはメキシコへ行くように計画したいですね。そこには ●ティオティワカン遺跡などが存在するので…。

                      ………


[830] ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/03(日) 15:15 [ 返信 ]
成田空港からアラブ首長国連邦の首都・アブダビの国際空港まで12時間、
4時間の乗り換え時間待ちの後、カイロまで4時間。
合計20時間の飛行機はさすがに長かったですね。
(帰りは西からの追い風で15%ほど時間短縮されました。)

今回の目的であった 「今の人類ではない、有史以前の人類による巨石文化確認・第1弾」 として
とりあえず一番有名なピラミッドを見るために行ったのですが…

当然、カイロ到着後に、そのピラミッドが存在する場所に至るまでの道を通るわけですが、
途中のいろいろなカイロの街の実態を見るにつけ、その市民の暮らしぶり・文化の差・市街地の成り立ち…等々、
驚かされることが多々ありました。




[831] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/03(日) 15:22
ピラミッドをはじめ、スフィンクスの造りを実際に見たことには70%ほどは満足していますが、
今回は、アブシンベル神殿やルクソールに足を延ばせていないことには、少し不満が残りました。

また、それ以上に心に残ったのがエジプトの(カイロの)国民の暮らしぶりと想像以上のお国柄の違いでした。

カイロ市は人口約1,300万人とも言われ、確かに街の規模はまさしく東京と同規模で、広大な街並みでした。
ただ、周辺の砂漠の砂の影響もあるとはいえ、建物も樹木も少し薄汚い感じでぼんやりとして、
決してきれいとは言えません。

また交通があまりに滅茶苦茶で、信号はない(見かけたのは中心地の2〜3ヵ所)、横断歩道はない、
中心道路以外には車線もほとんど見当たらない。車の間を横断者がスイスイ?と横断している。
運転手も我先にと進行するので、我々が乗っていたバスにぶつかるんじゃないかと何度もビックリ!

さらに馬車が混じり、ロバにひかせた荷車が通り、ノーヘルメットの3人乗りのバイクがスピード出して通り過ぎる。
よくあれで運転できるーー日本人はおそらく運転できないでしょう。




[832] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/03(日) 15:28
いずれは、有史以前の巨石文化を自分なりに少しまとめたいと思っているので、細かいことは省略しますが、
約5000年も前の古代エジプトのファラオ時代の末裔が、あまりに雑然とした今のカイロ市の市民かと思うと
なんだか寂しい感じがしたのです。




[833] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/03(日) 15:58
ピラミッドが存在する地区は、カイロ市に隣接するギザ市です。

ギザの台地で有名ですが、標高50mほどの砂漠の台地・強固な岩盤の上に
超巨大な「ギザの3大ピラミッド」があります。
そこでもやはりピラミッドを目の前にして、街並みのみすぼらしさが目立ちました。

ピラミッド見学者は、普通は当然遠景のピラミッドに目が行くでしょうが、
私は何故か車窓から見える市街地の写真を何枚も何十枚も撮りました。




[834] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 MAIL Date:2015/05/03(日) 16:09
とは言え、やはり本物のピラミッドを目の前にすると、“下界”のことはすっかり忘れ、圧倒的なサイズに感動!

(但し、例の物売りさんは全くの興ざめです。どこに行ってもいるんだから困ったもんでした。)

写真は第1ピラミッドを下から撮影。

この後に第1ピラミッドの中に入るのですが、
私が気になっていたことを確認するのも忘れてしまうほど足元がおぼつかなかった。

中に入って20〜30m進んでから登りの最初は距離約40m・角度30度ほどの狭い階段のような通路。
本当は階段ではなく、坂道に滑り止めの補助板。

その通路は、幅・高さともに90cmほどなのでしゃがんで上るのに四苦八苦。
勿論、手すりと足元の補助板はあったものの、翌々日まで太腿周辺に影響がありました。

そして途中から突然広くなり(高さ8mほど、幅2mほど)その距離約50mで、両側の岩のサイズが数mもある上に、
数十トンもあるような岩そのものが正にピッタリと合わさったサマは神業としか言えないでしょう。


そして行き着いた“王の間”と呼ばれる部屋の天井は岩のサイズがさらに大きく、
資料によれば50トン〜60トンの岩を見事に組み合わせてありました。

実際に見たとき、その時は確実に今の人類では作れない建造物であることを確信しました。




[835] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/03(日) 17:15
※明日以降に続きをもう一度投稿させてください。

[836] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 MAIL Date:2015/05/04(月) 15:56
ピラミッドの中には30分ほどいたのですが、外へ出た石場の椅子に座っていた警備員らしき制服の
ひげのオッさんが私を止めて、私が着ていたシャツの胸ポケットのボールペンを見せてくれといったような仕草……

何じゃろか?と思いながらもボールペンを渡すと、手に取って、このボールペンを自分にくれんかな?と言い出した。
勿論断ったものの、日本のボールペンは彼の地では書き味が良くて人気らしいことを、後で聞いて納得。

その後、ピラミッドの丘をぐるっと回ってスフィンクス見学場所までバスで5〜6分。
これまた謎が多く、全長約70m・幅約25m・高さ約20mの建造物は石灰岩の山を削って造られており、胴体の大部分が
浸食されて随分と縞模様になっています。

砂漠なので、風の仕業のようではあるけれど、最近の調査では基盤部分は水で浸食された可能性が強いことが
分かっています。

つまり乾燥地帯のエジプトが、まだ水害に襲われていた時代…約 12,000年前には存在していたと仮定できる。
胴体周辺の石組みは、それこそエジプト王朝時代に既存していたスフィンクスを修復した跡と考えられます。

また、スフィンクスの顔は、このところの研究ではカフラー王ではなく当時のアフリカ系のヌビア人が最も近いとされます。




[837] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/04(月) 16:19
写真右側の石組みは、当時のスフィンクス神殿の入口。
それは石を加工して単純にまっすぐ切るばかりでなく、組み込んだ形になっているのが分かります。しかも固い花崗岩。

この場所の石は長さが1mほどなので、重量がおおよそ1トンほどかと思われますが、大ピラミッドなどの石(岩)の重量は平均約3トン、考えられる最大重量は1個・約70〜80トン。
それを全体で260〜270万個の石(岩)使って造られていることが実際なのです。

私の見たかった中で一番の目的は、この石組みでした。それは第1ピラミッドの中の通路と王の間で確認はしていました。




[838] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/04(月) 16:42
その夜のオプショナルツアーで「ピラミッドライトアップショー」なるものを見学。
開演を待っている間に、夕暮れ時のピラミッドのシルエットと、上弦の月と、宵の明星のコラボに遭遇。
右下の丸っこい影がスフィンクスの頭部。




[839] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/04(月) 16:58
3大ピラミッドの後ろの隠れているような、この3つの石組みこそが、当時のエジプト王朝のピラミッド造りの
実力だったといえます。

一般的な本や、現地ガイドの説明では、この小さな?ピラミッド“モドキ”はクフ王の母と妃の墓として造られたと…。

もしその説明が本当なら、母や愛する妃の墓なら大ピラミッドと同じレベルで造って当然でしょう。

小さい上に、大ピラミッドに比べて精度が如何に幼稚な造りかということが分かります。
つまり当時の技術で、精一杯に大ピラミッドの真似をして造っていると思われますが、約200〜300年後には
一部分崩壊してしまったようです。




[840] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:  管理人 Date:2015/05/04(月) 17:04
次回、もっと大きな巨石を使った古代遺跡を訪ねて、ペルーと、出来れば一部ボリビア、
さらにはメキシコへ行くように計画したいですね。

10年前はヨーロッパやアメリカなどに行ってみたいと思ってましたが、もうそっちは後回しです。
(ヨーロッパは魅力的ではありますが。)


ところで、日本からのツアーで行った訳ですが、そのツアーの料金でエジプトでは「ギザAクラスホテル」に
宿泊できました。




[855] RE:ピラミッドを見るつもりで行きましたが…… Name:木村(2期) Date:2015/05/21(木) 19:32
エジプトはやはり行ってよかったでしょう?

私はもう少し歴史を勉強してまた行ってみたいと思っております。一人で?(笑)

何千年も昔のことなのに、現代と変わらないことも数々あっていろんなことに感動ばかりでした。

ルクソールへもぜひ行ってみてください。
アブシンベル神殿です。




[854] 楽しそうですね!! Name:5組 枝國五雄 Date:2015/05/18(月) 16:33 [ 返信 ]
木村君のお知らせで開催される事は知っていましたが所用で参加できませんでした。
同郷の安藤君のお店で開催されているという事で参加したいといつも思っていますが、いつも同じ日に所用が重なり参加できません。残念です。
10月3日に北楠会関東支部の懇親会が開催されますのでその時にお会いできる事を楽しみにしています。

[841] 関東3期会 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:22 [ 返信 ]
 本日、安藤(旧姓木下9組)安則さん経営の磯子「ひぜんや」での集まり。今年は男子が多かったとか。わたしは久々に参加。それで、いくつかの写真をアップ。入らなかった方もいると思われますがご容赦。もちろん撮影者の姿はなし。



[842] その2 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:26
中央が安藤さんで、右は山田いつ子さん。左は・・・木村っ、頼む。



[843] その3 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:33
伊藤さん(左)立ち上がっているのが安藤さんで、その奥は高取氏、さらに奥は、あれっ。



[844] その4 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:34
もしかして、佐賀にいるはずの木村??!!!



[845] その5 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:37
ここらから名前が出てきません、木村っ、頼む。



[846] その6 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:38
 顔は知っているのに名は不明。すまんこってす。



[847] その7 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:42
岡村寿美さん、男子姓名判らず、木曾正子さん



[848] その8 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:44
右は言わば幹事の木曾正子さん、ご苦労様です。



[849] その9 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:47
 ここからは会場を移して二次会ということになっているわけだが、2階から3階に移動しただけ。移動距離から、いわゆるミジカイ。



[850] その10 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:50
食うものは食っちまったし、後は飲むしかないもんな。



[851] その11 Name:s・f Date:2015/05/16(土) 21:53
左の女性が青柳さん。よしゃあいいのにマイクを持って歌い出したのは永遠の野球小僧である高取クン。で、その歌は・・・・・・ジャイアンだった。



[852] Last Name:s・f Date:2015/05/16(土) 22:04
それぞれの近況報告では皆の爆笑を誘い、来年から毎年参加するぞと決意表明されたのが、今回初参加だった右の方。名前を聞いたが、すぐ忘れたので、木村っ、頼む。左の園田君とは卒業以来とのこと。人を使う立場にいても、ここでの表情は昔に戻ってしまっているように見えた。これが同窓会。(以上、ミュージシャンのs・fでした。)



[853] RE:関東3期会 Name:木村3組 Date:2015/05/17(日) 16:34
 早速の掲載ありがとうございました。
 その2の左側の女性は、佐藤さんです。
 その5の左側は原さん、右側は松尾さんです。
 その6の男性は、下村さんです。
 その7は、川副さんです。
 Lastの右側の男性は、初参加の武本さんです。
 
 昨日は、お世話になりました。 
 今年の関東三期会は、初参加の方を含めて、男性の参加が久し振りに多かったようです。
 数年前は、男性が中島さんと家主の安藤さんの二人というときもあったとのことで、一番喜んでいたのは、中島さんでした。
 でも、やはりいつまでも若い女性陣の嬌声も、楽しいものです。
 お世話された方、ありがとうございました。

[829] ちょっといい話 Name:木村 3組 Date:2015/04/22(水) 16:43 [ 返信 ]
 3期生の部屋に、お邪魔します。
 体調を壊して仕事を辞め、年金生活を始めて丸2年が過ぎました。
 テレビの番をしながら新聞を読み、時には積ん読状態の本棚から余り重くない本を引っ張り出して読む。
 そうした本の中に「佐賀県高野連50年史」というのを見つけました。
 関係者の投稿文の中に、次のものがありました。
 
 
 全国優勝の思い出
      ――甲子園で学んだこと――  
     前佐賀商業高校野球部監督 田 中 公 士

 平成6年、第76回全国高等学校野球選手権大会決勝戦は、長い甲子園の歴史の中で春夏を通じて初の九州同士の対戦となった。
 朝から甲子園球場周辺は人の山、山。観客は試合開始前に5万人となった。その後も人の波は途切れず甲子園の最寄りの駅や阪神梅田駅では、「甲子園球場には入場できません。」という構内放送を入れたという。
    
          ―中略― 

 初の全国優勝を達成したことと共に、もう一つ今も大きな感動として甦ってくるものがある。
 それは甲子園のアルプススタンドでメガホンを手に、大きな声で、体を前後左右に動かし大粒の汗を流して応援している3年生の控えの選手たちだ。
 彼等は、大阪の練習では出場する選手のために球を投げ、守りに就いては打球を追い、球を拾い集め、正選手の調整役となってチームを支えていた。
 
 彼等も少年の時から、甲子園球場でプレーすることが夢であった。チームが勝ち進むにつれて、マスメディアは中心選手を追い大きく取り上げる。彼等も同じ部員。気にならないと言えば嘘である。試合を終えて、宿舎に帰ると何気ない顔して仲良く明るく談笑している彼等の姿は、辛さにじっと耐え、むしろ闘っているようにさえ思えた。そんな姿を見ることは最も辛いことだった。

 ところが思いがけないことに、宿舎での優勝祝賀会の折のこと。ジュースで乾杯の後、控えの選手だった彼等が真っ先に、3人、4人、5人と寄ってきて「嬉しい、嬉しい。」と私に力一杯の握手を求め、抱きついてくる。最後に彼等はTシャツを脱ぎ、何か言葉を書いて欲しいとテーブルに広げた。
 
 私はマジックを持ち、彼等の温もりの残るシャツを左手で押えて、何か書こうと思ったが、涙がこみ上げ、巧く書けなかった。
 
 優勝の瞬間、マウンドで喜び跳ねた子どもたち、それをしっかり支えた控えの子どもたち。私は、また子どもたちに教えられた。
 こうして、平成6年8月の20日間は終った。 

※ 田中先生には、みどりの森県営球場建設の際に、いろんなアドバイスをいただきましたが、全国優勝された先生とはとても思えない飾り気のない実直な方でした。
 そういう人柄だからこそ、優勝されたのかもしれません。
 監督である前に教育者であるというのが先生の持論で、生徒たちも監督さんではなく先生と呼んでいて(このことは、平成19年に同じように全国優勝した佐賀北の百崎先生もそうでした。)、みどりの森県営球場での試合のときのことですが、佐賀商業の試合中(このときは既に監督を譲っておられました)にもかかわらず、グランドの周囲を見回って、ゴミやたばこの吸い殻などを拾っておられました。
 それを見た補助員の生徒たちが「先生、自分たちがやります」と言うと、先生は「君たちは試合をしっかり見て学びなさい。見ることも大事なことだよ。試合が終わったら手伝いなさい」と言って、生徒たちを球場の中に戻されたのです。
 単純な私は、先生の子供たちへの温かい言葉とその言葉の素晴らしさに、じんときたことを今でも覚えています。    


[828] 今日は待望のピラミッドの中に入ります。 Name:管理人 MAIL Date:2015/04/22(水) 10:48 [ 返信 ]
成田から約12時間かけてアラブ首長国連邦のアブダビ国際空港へ。
さらに乗り換えてカイロまで約4時間。
アブダビで4時間30分ほど待ち時間があったので、約20時間でやっとカイロ着。
人口が1,300万人とも言われるカイロ市ですが、市内はゴミやガレキが至る所にあってあまりの雑然さにビックリ!
車は運転マナーなどあったものではなく、まさに我先に進んで、信号があってないようなもの。
人間もそこら中で道路横断、日本では考えられない無謀。
でもカイロではそれが普通でしょうから、なにも言えないけど…
時差が7時間で、今は夜中の3時。ただ今日はピラミッドの中に入いるのでちょっと嬉しいですね。
i-phoneからの投稿なので画面の形がわるいでしょうが、日本に帰ったら修正します。
写真が1メガ以上で添付できないので、後でまとめて投稿しようかな。


[827] 関東3期会への案内 Name:木村 3組 Date:2015/04/20(月) 09:36 [ 返信 ]
 今年も、横浜在住の伊藤(東島2組)さんから、関東3期会への案内を頂戴しました。
 恒例となったこの会、いつから始まって今回で何回目になるのか存じませんが、永く続いているのは確かなようです。
 初めて仲間に入れてもらったのは、平成8年の1月でした。以来、幾度か参加しましたが、昨年、久し振りに顔を出しましたところ、以前と変わらず参加されている方もおられれば、初めてお会いする方もおられて、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
 1年に一度、関東在住の3期の仲間が集まっての懇談会です。
 今まで、参加されたことのない方も、参加されたら如何でしょうか。

 日 時 平成27年5月16日(土)14:00〜
 場 所 横浜市磯子区磯子2−20−50
     「ひぜんや」電話045−751−8441
     安藤(旧姓木下9組)安則さん経営
     http://www.ikeyariika.com/
     


[826] 「第17回北楠会関東支部懇親会」のご連絡 Name:14期 内田裕之 Date:2015/04/19(日) 14:52 [ 返信 ]
春暖の候、卒業生の皆様には益々ご健勝の事とお喜び申し上げます。
さて、「第17回北楠会関東支部懇親会」を下記日程にて開催する事となりました。
今回は、14期、15期が美味しい料理と楽しい企画でお世話させていただきます。
旧交を深め先輩・後輩・同期の仲間と北高時代の思い出に時間を忘れて佐賀弁で語り合い盛り上がりましょう。
どうぞお誘い合わせの上、多数のご出席をお願い申し上げます。

北楠会関東支部長 大塚健二( 9期)
懇親会実行委員長 内田裕之(14期)

          記
■ 日 時  平成27年10月3日(土)17:00〜19:00
※16:00受付開始
■ 場 所  「TKPガーデンシティ品川」
東京都港区高輪3-13-3
■ 会 費 一般 10,000円 学生 2,000円
                             以上
■ 連絡先 hokunan17@yahoo.co.jp(14期 内田)
※出欠のご連絡は、6月下旬に往復はがきを郵送いたします。



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[825] Part2 Name:会長 枝國五雄 Date:2015/04/18(土) 11:29 [ 返信 ]
4月16日実行委員会開催時に21期以降の学年クラス委員に参加を呼び掛け20名程の方に出席いただきました。記念同窓会の説明後に、それぞれ自己紹介をしました折に北高への熱い想いを語られ実行委員全員が感激し絶対成功させるという気持がさらに高まりました。
クラス委員の皆様は式典部会にて活動していただく事になりましたのでお願いに来られた時はご協力よろしく御願いします。


[824] 北楠会設立50周年に向けて Name:会長 枝國五雄 Date:2015/04/18(土) 10:47 [ 返信 ]
北楠会々員の皆様には日頃よりご協力いただき感謝申し上げます。50周年記念同窓会の開催日8月9日まで100日余りとなりました。菅実行委員長を先頭に各部会の実行委員の皆様のご尽力で着々と準備は進んでいますが、成功させる為には皆様方のさらなるご協力が必要となりました。チケットの購入等実行委員より依頼があると思いますのでその時はよろしく御願いします。50年の伝統を誇る北楠会の礎を造っていただいた一期生の皆様から今年卒業した50期生が集う記念同窓会に是非参加いただき旧友とお会いできる事を楽しみに8月9日、ニューオータニ佐賀にお越し下さい。

[823] 心のファインダー Name:木村 3組 Date:2015/04/06(月) 11:37 [ 返信 ]
 久しぶりの書き込みです。

 4/5付けの佐賀新聞「有明抄」に次のような文章がありました。                      
 写真を撮りすぎると記憶が薄れる−。
そんな学説を唱えているのは米国の心理学者リンダ・ヘンケル氏。カメラのシャッターを切る時、「自分の代わりに覚えてくれる」というシグナルが脳に送られるらしい。
 写真撮影減殺効果。何も考えずにシャッターを切ると、目の前で起きていることをそぞろに記憶してしまい印象が薄れるということか。カメラ任せの記憶では、感動の色あせ方も早くなるだろう。中略  
 今日、約1万人が肥前路を駆ける「さが桜マラソン」の号砲が鳴る。今年も春の色が縁取る佐賀平野と沿道の温かなもてなしがランナーを迎える。記憶しておきたいと思わせる場面がいくつも生まれるに違いない。多くのランナーの心の中でシャッターを切る音が鳴り響いてほしい。

 文章は以上ですが、十数年前の北高の体育祭の際、これとまったく同じことを言われたた先生がいました。 

 それは、生徒が体育祭の様子をカメラに収めているのを見つけた先生が「カメラはいかんて言うたろうが、やめんか。どがんしてでん撮りたかないば、心のファインダーに収めんか。そいが感性て言うとたい。」
 我が同級生であるその先生の言葉に、いたく感激したことを今でも覚えています。

 社会科担当のその先生は、後に県立高校の校長を経て、県内の有名私大の系列高校の校長としても活躍され、今では、好きな川魚釣りを楽しむとともに子供相手の体操教室で体を動かし、悠々自適の生活のようです。
 前投稿の神野公園の花見の写真にその姿があるようです。
 ただ、何故かその中に私はいません。



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