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3期生の部屋

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[1245] アルハンブラの思い出 Name:木村 3組 Date:2017/12/14(木) 11:04 [ 返信 ]
 余り面白みのない話が続いたので、気分転換に音楽の話です。
 
 昔、TBSラジオの番組に「永六輔の誰かとどこかで」というのがありました。永六輔がそのときどきの世相批評をしながら、自分の思ったことや感じたこと、旅で歩いた土地の様子などを語る番組でした。

 その番組の中に、毎週金曜日(当初は土曜日)だけ放送される「7円の唄」というコーナーがあり、リスナーから投稿されたちょっとした日々の生活の様子や風景などを紹介していました。
 放送当時(1967年)ハガキ1枚の値段が7円だったことから、この名前がついたそうで、永六輔と遠藤泰子アナウンサーの二人でハガキを読み、それぞれに感想を言い合うものでした。

 このハガキを読むときにBGMとして流れていたのが、タレガの「アルハンブラの思い出」でした。

 その後料金値上げに伴いコーナー名は「50円の小言」に変更されました。

 検索しましたら、この番組は1967年1月に始まっていますので高校2年生のときです。当然学校に行っているはずなのに、金曜日AM11:38〜11:47までの放送をどうやって聞いていたのか、全く記憶にありません。

 卒業してからも、男浪花(むだばな)を経て、飲み代稼ぎに「でもしか公務員」をやっていましたので、ラジオを聴く時間なんてなかったはずなのに、この番組のことを覚えていること自体不思議です。

 でも、BGMで流れた「アルハンブラの思い出」のメロディーだけは、しっかりと記憶に残っていて、今も時々聴いています。

村治佳織 アルハンブラの思い出
https://www.youtube.com/watch?v=7llUA1_QHL0

ついでに、村治佳織 禁じられた遊び
https://www.youtube.com/watch?v=dxdrDK22CzE


[1244] 続々 北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/14(木) 10:34 [ 返信 ]
◎北高10年のあゆみ
 (1)開校まで(昭和37年度まで) そのB
 
 「大きな混乱が予想された27日の定例教育委員会は、佐高の分離問題について『3校とも自由志願で共学の高校とする』という予想外の結論を出し、あっけない幕切れとなった。その間わずか20分。動員の指令で集まった労組員も、警備のため配置された警察官もこの“肩すかし”にあっけにとられたかっこうだった。……」

 男女共学は堅持され、北高は女子校にはならなかった。しかし「自由志願」は学校格差という問題を残した。同年12月の県議会で議員が「@ある学校に志願者が殺到しある学校には募集人員にも満たないという現象が出るのではないか A野放し共学は必ず学校差ができる B中学で入学希望の選別をやって子供に劣等感を植え付けるのではないか」と質問している。教育長は「@予備調査などで事前に見極めて志願者数の不均衡がないようにしたい」と答弁。また県教委決定の翌日の毎日新聞には高教組委員長と昭栄中PTA副会長の話が掲載されているが、どちらも「西高に志願者が集中し、他は定員に満たなくなるのでは」とのべている。

 ところが、翌年2月に志願者を募ったところ、まるきり反対の数となった。佐賀西志願者462名(定員477、倍率0.97)佐賀北844名(定員636、1.33)佐賀東967名(477、2.03)。予想と違った形ではあれ自由志願のとがめが出たわけであり、県教委が北高9名、東高に6名、と定員を増やしこれらが県議会の議論の材料となった。総合選抜を主張した人たちからすれば「だからいわないことじゃない」わけで、別の県議らが自由志願の非を鳴らし総合選抜をあらためて主張して教育長を追求した。このことから、翌年から志願変更が認められるようになった。もっとも39年度入試からは中学校も自由志願対策になれて、募集定員割れはなくなり、せっかくの志願変更制もかえってわずらわしいものになった観さえ呈した。西・北・東の志願倍率には、大きな開きができた。

 西高の入試は中学段階ですでに終了している。それはある程度北高についてもいえる。中学での選別のしわよせをもろにかぶるのが東高であった。こうしたパターンはこの10年ほとんどかわらなかった。3校それぞれの男女比も、ごくわずかの変動があっただけである。 この項終了


 


[1243] 続 北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/14(木) 06:53 [ 返信 ]
◎北高10年のあゆみ
 (1)開校まで(昭和37年度まで) そのA
 
 佐高分離は昭和30年頃からぼつぼつ出ていたが、それを促進したのは生徒急増対策である。県内の各高校では、学級数がふえたり、1クラスあたり55名のスシ詰め学級になったりした。また新しい学校も続々誕生した。昭和37年度には唐津実業高校が唐津商業・唐津農業・唐津工業の3高校に分かれ、杵島商業高校が全日制となり、38年度には多久工業高校と牛津高校が独立している。佐賀高校の場合2校舎では収容しきれないので、第3の校舎が必要である。それに城内と中折では、いずれ分離は避けられない。問題は分離の方式である。
 
 昭和36年11月17日開かれた高校長会に、県教育委員会は男女別学の案を示して意見を求めた。このことは県の教育界に大きな波紋を広げただけでなく、県民一般に突如として、大きな時事問題を提供した。36年11月の佐賀新聞はこの問題で10日間の紙面に紙上討論会を連載しているが、そこで出された意見は @男女別高校 A進学校と女子高 B学区制 C総合選抜制 D自由志願の5つの案に分けることができる。さらにいえば ⓐ1校は女子高 ⓑ均質分離 ⓒ自由志願の3つとしてもよい。11月20日の佐高職員会議は3時間をこえる激しい討論のすえ、「均質分離」が、男女別学論をしりぞけた。もっともその差が僅少であったことから、西村芳雄校長は、賛否ほぼ同数ということで外部には対処した。生徒会総務委員はアンケートをとって、「均質分離が過半数。男女共学 望む」と校長に伝えた。

 高教組は「別学反対均質分離」を方針として、県教委に抗議した。栄城会は別学推進。佐高同窓会は均質分離という方針。郁芳会(佐高女同窓会)・成美会は共同で西村佐高校長に別学反対を申し入れた。もっとも成美会が「北校舎は女子高に」という意向をもっていたように、この「別学反対」は西高を男子だけにすることに反対という意味が強い。別学問題は佐賀市だけでなく唐津・三神地区にも及んだ。これらの地区の前身が女学校の高校は将来女子校への方向をとることが示唆されたのでいずれも深刻にうけとめた。神埼高校は生徒会が直接教育長に別学反対の陳情をし、鳥栖高校生徒会・新聞部も教育次長を招いて、事情を聴き別学反対の意見を述べた。このような情勢の中で県教委は11月、12月と結論を出さず、翌37年1月8日の委員会で、分離問題を当分見送ると決定して問題をいったん白紙に戻した。この問題は鎮静し、北高のスタートは難航して1年延びたのである。

 白紙還元で鎮静化した世論が、再び煮えたぎる時が来た。昭和37年10月26日、佐高職員会議は「北校舎を女子高校、西校舎を男子高校、第3高校を男女共学」という案を過半数の支持できめ、県教委に要望することになった。男女別学問題が再燃した。ただ前年度と違って第3高校(佐賀東高校として実現)の開校が予定されていて、その分だけ案が複雑になってくるということである。高教組は総合選抜・均質分離をかかげて、別学に反対し、ビラはりや、セスナ機からの4万5千枚のびらまき。森教育長らに対する抗議や交渉などで最後までくいさがった。県総評・佐教祖・佐大教祖もこれを支持し、県総評は池田知事に会って、「県教委に共学を要請」するよう申し入れた。佐賀大学の堀部靖雄教授ら教官有志40数名は、「女子単独校をつくることに反対」などを声明した。県婦人連絡会「1校女子校、2校共学」、栄城会は別学分離、郁芳会と成美会は「3年後女子短期大学設置を条件に女子校1校、2校均質。この案がだめな場合、2校に家庭科コースをおいた均質分離」、佐賀市中学校長会は「北高を女子高、西・東は男子中心で総合選抜」、佐高生徒会は職員会議の別学案を42.2%の比較多数で支持。

 この間にあって、県教委は慎重な中にも「特殊な条件下では男女別学があってもよい、男子に比べ女子の入学難がある」「1校は女子校でもよいのでは」「高校教育の共学については専門家の間でも議論はある」と、別学実施を示唆していた。以上の論議の一つの焦点は、北校舎を女子高校にするかどうかということであった。
 11月19日付けの佐賀新聞にも北校舎本館全景の写真の説明に「女子高校になるか……佐賀北高」とある。教育委員会が開かれる直前の観測では北校舎女子校というみとおしが強かった。

 分離問題に決着をつける教育委員会は昭和37年11月27日、県警体育館で開かれたが、運命の日が近づくにつれ県内の空気は重苦しく緊迫してきた。高教組は一時は当日10割動員をかける予定であった。前の日の見込みでも高教組420人を中心に県総評など1500人が動員され、県警本部も機動隊のほか相当数の警察官を待機させるというものものしさだった。当日の佐賀新聞は社説でいっている。「この問題が県民世論の俎上にのぼったのは昨年の10月県議会以来のことだが、……各方面から蜂の巣をつついたような論争をまきおこし……きょうあたり、双方の出方では一騒動まぬがれそうもない情勢となった」。ところが、翌日の佐賀新聞は次のように報道することになる。 続く


※分離の方法は未定でも、校名としての西・北・東は決定していたようです。ただ、その点については明確な記述がありません。
※当時の生徒会が分離問題について積極的に関わっていたことが記載されていますが、私たちが当事者だったら、果たして同じような活動が出来ただろうか……。


[1241] 北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/13(水) 07:57 [ 返信 ]
 北高の話を真面目に書きます。
 佐賀県立佐賀北高等学校が開校するまでの一連の流れを、「北高十年誌」から転載します。一部割愛した箇所があります。不悪。

 ◎北高10年のあゆみ
 (1)開校まで(昭和37年度まで) その@

 佐賀県立佐賀北高等学校は昭和38年4月1日に開設された。佐賀市内唯一の公立普通高校として、旧制佐中・佐高女・成美以来の伝統を誇っていた佐賀高校が、この年から募集を停止し、かわって、市内に、佐賀東・佐賀西・佐賀北の3高校が一斉に誕生した。

 佐高は生徒数3000人のマンモス校として全国的に話題になったこともしばしば。各学年20組まであり、最後の学年にいたっては24組まであった。校舎は2つ(34年度までは3つ)に分かれており、例えば後援会総会の場合、総会を西校舎(今の佐賀西高校校舎)で行ったら、北校舎(今の北高校舎)関係の父兄は3キロ離れた北校舎に移動する。その際能率よく移動するために10台近くの貸し切りバスを使ったこともある。

 生徒総会は校舎別にしかできないし、ファィヤーストームのリーダーは西校舎から、1年生のいる北校舎に出向いて練習の指導。授業が終わってから自転車をこいでかけつけたら1年生の半分がもう帰っていたということもある。体育祭も2日かけなければ全生徒が参加した気になれない。生徒にとっては知らない先生がほとんど。およそ学校としては異常なものであった。

 佐高が手狭な城内を見限って、市街地の北西のはずれに北校舎を建設したのは昭和31年。本館中央入口のそばに「定礎1956・11」とほられた石がはめこまれているが、これは当時の鍋島直紹知事の書である。1年生全部を収容して新しい教育の場として活動を始めたのが32年。これ以来、佐高の1年生はすべて北校舎で教育を受けた。

 当時は、建物としては本館だけで、その中に、職員室から事務室・保健室・図書室・特別教室まであった。たとえば現106教室は職員室。現102・103は、ひとつのへやで、体育教室であった。その後本来の普通教室に戻したが、1年の2・3組の教室に、黒板横の棚がないのは、普通教室でなかった時代のなごりである。

 中折のこの地に場所を選定したのは昭和29年4月、当時、校長は宮田虎雄氏(現佐賀市長)であった。宮田校長を中心として佐高の将来についての構想がねられていたがいずれは分離ということで新しい校地が求められた。西校舎は動かないとして老朽の東校舎(現城内公園地内)や南校舎(現県総合庁舎)は狭い。そこで郊外が対象となった。将来の佐賀市は北または北西に発展する、とみた宮田校長らは、まず佐賀駅のすぐ北側に、次いで神野小学校北に土地を求めた。やや狭かったり、地主の反対で、これらの土地をあきらめた。ついで候補にあがったのが現在地である。当時の現在地のほとんどが水田であり、二筋の溝が南北に流れていたが、約5ヘクタールというまとまった土地で買収も有望であった。

 昭和32年当時は校舎もやっとできたばかり、グランドも現在の管理棟の南は、一段低くなっておりそこはたんぼ同然。しかもまだ溝が南北に2本通っていてグランドは一つにまとまっていなかったので体育の指導はやりにくかった。蛇が授業を受けに来たこともある。

 校舎だけはりっぱなもので、本格的な校舎建築としては県で最初の鉄筋校舎であり、以後の学校建築の、いろんな意味でテストケースとなった。外見は堂々としてしかもスマートであったが、数年後ひびがはいってきた。何しろ125メートルという長さの校舎である。基礎工事を3つぐらいに分けてやればよかったかもわからないが、いっぺんにやったものだから北側に2か所ひびがはいって水がしみこんできた。

 32年、県立高校としてははじめての鉄筋三階建ての校舎が松尾建設によって建築された。たんぼの中に、ウナギの寝床のような真新しい校舎が長々と横たわる。それだけの殺風景なキャンパスに、すがすがしい緑をそえたのはヒマラヤ杉であった。はじめてこの校舎を使う昭和32年度の佐高1年生が、発案して資金を出し合い植えたのが、本館南に1教室あたり一本立っているヒマラヤ杉である。植えた当時1.2メートル。いまはいちばん高いのは三階の床と同じ高さになった。

 その後特別教室南棟・同北棟・管理棟、体育館が完工してひととおり学校らしくなったところで、昭和37年5月26日出来上がったばかりの体育館で総合落成式が行われた。それまでの校舎建築費は1億6767万円(除く用地費)であった。

 この壮大な校舎は落成式早々、これからどういう学校の校舎になるか、大論争の渦中に引きこまれることになる。 続く

※当時の校舎は今は跡形もなく、建て替えられています。


[1242] RE:北高は女子高だった? Name:木村 3組 Date:2017/12/13(水) 17:14
 友人(勿論3期生です)から、「北高の周りは田んぼが広がっていて、遠くに長崎本線が見え、電車が通るたびに車両の数を数えていた。始発のバス停(中折)の周りにはレンゲソウがいっぱい咲いていたが、多布施川沿いの桜は記憶にない。みんなが知っているのは驚きだ‼」というメールが来ました。
 確かに、南側には道路も人家もなく、少年刑務所の赤いレンガ塀が、教室から見えていました。
 長崎本線の特急さくら号の下りが11:30頃に通ると、昼飯でした。


[1232] JR東海CM Name:木村 3組 Date:2017/12/02(土) 17:04 [ 返信 ]
 昨日、山下達郎のクリスマス・イブを使ったJR東海のCMを貼り付けました。
 すると、今日の佐賀新聞に、グッドタイミングでそのことについての記事が掲載されました。

◎クリスマス考

 新幹線が止まる。降りてくる人々の中にあの人の姿はない。待ち合わせたホームに彼氏が現れず、泣きそうになる若い女性(深津絵里)。無人のホームでふと柱に目をやると、その陰からプレゼントの箱がひょっと出てきた。続いて男性がムーンウオークで近づいてくる。

 クリスマスのサプライズ効果を狙った彼氏の演出だった。勝ち気な性格なのか女性は喜びを素直に表さないが、照れ隠しの顔は緩んでいく。

 山下達郎のヒット曲「クリスマス・イブ」と共にこのシーンを思い出すのは、ぼちぼち老後を心配し始めている50歳以上の人だろう。バブル景気真っ盛りの1980年代後半から放映されたJR東海のコマーシャルは一世を風靡した。

 89年末に平均株価は3万8915円87銭の最高値に達しジャパンマネーは米国の富の象徴であるロックフェラーセンターを買収した。

 若者は豊かな将来を確信できた。幸せな家庭を持ち郊外に庭付きの一軒家を構える。そんな生涯を思い描いた。恋人たちは半年前からクリスマスイブの夜に都会の高級ホテルを予約した。

 そんな時代の勢いは砂上の楼閣であった。その後「失われた20年」が続き日本経済は一変。バブルの傷は癒えたようにみえるが、企業ばかりが潤い給料は増えない。人々は背伸びをせず現状に安住するようになった。頑張っても報われなければ活力は湧かない。

 バブルの感傷に浸っているわけではない。むしろ今の方が正常なのだろう。だがこんな時代だからこそ萎縮したくない。

 余計なお世話と言われそうだが、遠く離れた人に思いを寄せる若者に一言。何も高級レストランである必要はない。特別な日は仕事とお金をやりくりしてあの人に会いに行こう。心ときめく聖夜を。メリークリスマス!


[1233] RE:JR東海CM Name:サックス吹き Date:2017/12/02(土) 23:19
 ずいぶん昔、山下さんのツアーをやっていたころ、中盤の「クリスマス・イブ」はステージ中でも受けるところ。この歌は曲途中のコーラスの部分は生では出来ないので、テープと同期させる形での演奏。ドラムはヘッドホンでクリックを聴きながら叩くわけです。他の楽器はそれに合わせて演奏し、コーラスの部分はテープのコーラス、ア・カペラだけになります。コーラス部分に突入するとバンドは演奏をストップ。場内のスピーカーからコーラスだけが流れる案配です。さて、忘れもしない神奈川県民ホール。どういうわけか、その日のサブミキサーは場内に流れるはずの音をオフにしてしまっていたのです。バンドはその瞬間止まるわけですから他の音は何もありません。止まった瞬間、場内はシーンとしてしまいました。ドラムの青山氏のヘッドホンからクリックの音だけが「カッ、カッ、カッ」と聞こえるだけ。恐ろしい瞬間でした。しばらくして山下さんが「うそーっ」と叫び、ステージをぶち壊したサブミキサーはステージ上で土下座してお客さんに謝る事態になりました。レコーディング以上に緊張を強いられる彼のツアーステージは都合4年ほどやりましたが、あの日を境に、これ以上のミスはないとでもいう風にバンドメンバーはすっかり気が楽になりました。

[1234] RE:JR東海CM Name:木村 3組 Date:2017/12/03(日) 09:16
 「サックス吹き」さん、その場に居た人ならではの書き込みありがとうございました。
 


[1240] RE:JR東海CM Name:23ロッソ Date:2017/12/11(月) 14:32
山下達郎「クリスマス・イブ」
 https://www.youtube.com/watch?v=nGcm-q6sfs8

このコーラスはすごいな、7〜8人位が全部違う音をハモっている  サックス吹きさん元気で何より。

[1239] 生徒数 Name:木村 3組 Date:2017/12/11(月) 13:28 [ 返信 ]
 3期生の話に戻します。
 どうという話ではありませんが、私たち北高3期生は昭和40年4月に入学しました。
 入学試験は3月の10日前後ではなかったかと思いますが、試験は9科目で行われ、以後は5科目となっています。

 北高十年誌によりますと、このときの募集定員は689名、志願者は799名(男子425名、女子374名)、競争率は1.16、合格者は689名(男子365名、女子324)とあります。

 同誌に指定統計としての毎年5月1日現在の在籍生徒数・卒業生数が掲載されています。
 それによりますと、3期生の1年時は693名(男子367名、女子326名)が在籍しています。
 合格者は689名ですから、入学辞退者、補欠入学者、留年者等の出入りによる増減かと思いますが、合格者よりも4名増えています。

 2年時の在校生は、689名(男子366名、女子323名)となっていて、1年時に比べますと4名減っています。退学者、留年者、編入者による増減かと思います。

 この2年時のときの北高の全在校生は、2065名となっていて県下1のマンモス校でした。以後は徐々に減っていて、現在の定員は、1学年280名(普通科240名、芸術科40名)ですので、全校でも640名と私たちの頃の1学年の定員にも満たない数です。

 3年時は、同じく689名(男子365名、女子324名)ですが、卒業者は688名(男子364名、女子324名)です。

 40年4月に共に入学したのが693名(男子367名、女子326名)で、43年3月に共に卒業したのが688名(男子364名、女子324名)です。

 余談ですが、入試の問題用紙及び答案用紙は、県教委から問題用紙が配布されてから入試日を経て合格発表の日まで、校長室(事務室)の金庫に保管されていて、複数の先生が宿日直をして管理する体制となっていました。(後に承知したことで、現在の状況はわかりません。)


[1237] 竹内まりや Name:木村 3組 Date:2017/12/09(土) 12:22 [ 返信 ]
 皆さんの書き込みがないので、私が何か書こうかと思ったのですが、いざ書こうとしますとネタがありません。仕方がない(?)ので、またまた音楽です。
 
 先日、山下達郎のクリスマス・イブを貼り付けましたので、今日はバランスを取って、竹内まりやの「駅」を貼り付けました。
 1987年にシングル盤として発売されたもので、いい曲ですよ。
 
 竹内まりやが歌い終わって舞台袖に下がるのに合わせて、アルトサックスのソロが始まるのですが、素人の私にはとてもいい音色に聴こえます。

 https://www.youtube.com/watch?v=iBduO9SzhCI

ついでに、シングル・アゲインもどうぞ
 https://www.youtube.com/watch?v=vl0QZ_2B1W4


[1238] RE:竹内まりや Name:木村 3組 Date:2017/12/11(月) 06:30
 友人(勿論3期生です)から、「アルトサックスのソロがはいっているユーチューブは何回も聴いた。竹内まりやの曲はいい」というメールが来ました。
 フェイスブックなら「いいね!」、ラインならスタンプ満載といったとこでしょうか。


[1235] 威風堂々 Name:木村 3組 Date:2017/12/04(月) 20:47 [ 返信 ]
 今日も音楽の話です。不悪。

 「威風堂々」というイギリスの作曲家初代サー・エドワード・エルガーが作曲した、管弦楽のための行進曲があります。
 この曲は、昭和62年5月24日、昭和天皇が第38回全国植樹祭のために嬉野に行幸された際、会場に入られるときに流れました。
 また、天皇の料理番という番組でも使われたポピュラーな行進曲です。
 ここに張り付けたものは、東急ジルベスターコンサート2012−2013 指揮:藤岡幸夫、管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団、演奏時間は7分10秒です。
 この演奏が凄いのは、2012.12.31の23時52分50秒に始まり、2013.1.1の0時0分00秒ぴったりに終わっていることです。
 7分10秒聴いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=m20LnRnSNDM


[1236] 昭和天皇最後の行幸 Name:木村 3組 Date:2017/12/06(水) 15:04
 昭和天皇は、全国植樹祭の前に県内を視察されましたが、その中の一つに東与賀海岸シチメンソウ群生地(平成27年ラムサール条約湿地登録)があります。
 
 シチメンソウは、絶滅が危惧されているアカザ科の一年草で塩生植物です。

 東与賀海岸は国内最大の群生地で、12月初旬に芽吹き、葉色がピンクから緑、そして赤へ変わることから、七面鳥の顔色になぞらえてこの名がついています。

 11月上旬頃から紅紫色になり、海岸線を真っ赤な絨毯のように染め上げることから、「海の紅葉」とも呼ばれています。

 例年紅葉が始まります10月下旬から11月初旬にライトアップされ、その間にシチメンソウまつりが催されます。

 なお、昭和62年5月24日の第38回全国植樹祭が昭和天皇最後の行幸で、東与賀海岸には、昭和62年5月23日の訪問を記念して御製碑が設置されています。
 そこには、昭和天皇が出席された最後の歌会始で、行幸されたときの有明海の様子を歌った『面白し 沖へはるかに汐ひきて 鳥も蟹も見ゆる 有明の海』が刻まれています。
 
 紅葉の時期に帰省(来佐)されましたなら、ぜひ一度訪ねてみてください。
 


[1229] 今日から12月です Name:木村 3組 Date:2017/12/01(金) 07:20 [ 返信 ]
 おはようございます。

 今朝、新聞を手に取った時、分厚いなと感じました。
 中には、広告が20枚近く折り込まれていて、歳末商戦が本格化したようです。

 今年のカレンダーも残り一枚になってしまいました。
 昔ならこの時期、世の中(特に歓楽街)にはクリスマスソングが流れ、12月の20日過ぎともなると、三角帽を被った酔っ払いが、クラッカーを鳴らして「メリークリスマス」と叫びながら、あっちでフラフラ、こっちでフラフラ彷徨っていました。

 24日、25日は、早く家に帰ればいいものを、ケーキの入った袋、それも半分破れかけたものを持って、パー券を買わされた飲み屋をはしごしていました。
 それは決して私ではありません。

 私は「地道にコツコツ誠実に、そして清く正しく美しく」を座右の銘として、68年間生きてきました。
 正月には神社に、お盆にはお寺にお参りする信仰心の厚い私がそのようなことをする訳がありません。

 クリスマスには教会のミサに参列し、静かにお祈りをしていました。

 クリスマスソングをお一つどうぞ。
 今、病床にあって療養中の方がおられたら、その方の癒しになればとの思いも込めて。

 山下達郎「クリスマス・イブ」
 https://www.youtube.com/watch?v=nGcm-q6sfs8
 
 JR東海 Xmas Express CM 1988年〜1992年 & 2000年  (クリスマス・イブを使ったCMです)
 https://www.youtube.com/watch?v=vqocw6y1z6I

 ついでに、私がそのキャラクター(虚像?)に親しみを感じ、そうなりたいと願っていた高田純次の好きな歌「冬の星座」もどうぞ。
 https://www.youtube.com/watch?v=RRUy6zetKQ4

 今日も、北高とも3期生とも無縁の話でした。不悪。


[1230] RE:今日から12月です Name:shinko Date:2017/12/01(金) 21:37
 12月になりましたねえ。1年が過ぎていくのがとてもはやく感じます。私は、風邪もひかず元気なのですが、山下達郎の「クリスマス・イブ」は好きなので、聴きました。
ありがとうございました。
 今日、神戸ではメリケンパークに氷見から持ってきた生の木では日本一と言われているあすなろのクリスマスツリーが点灯されました。(と、ニュースで聞きました。)8日からは、「ルミナリエ」が始まります。1週間ほど前には、北野町の異人館のいろんなところにサンタさんが飾られて?ます。屋根にのっていたり、窓からのぞいていたり、煙突から入ろうとしていたり・・・。街路樹のイルミネーションもありで、街がキラキラしていますが、音も見た目もうるさくはないので、楽しめます。
 よろしければ、お出かけください。


[1231] RE:今日から12月です Name:shinko Date:2017/12/01(金) 21:59
日本一でなく、世界一でした。ニュースステーションでいってました。

[1228] どうでもいいことですが。 Name:木村 3組 Date:2017/11/28(火) 17:07 [ 返信 ]
 何か書かねばという気持ちはあるのですが、書くネタがありません。 
 仕方がないので、どうでもいいことをサラッと書きました。

 先ず、16日当日の写真について、広報担当部会長さんの話によりますと、当日1000枚くらい撮っているのでまだ整理が出来ていない。
 ついては、今しばらくご猶予をということです。

 また、ビデオも2時間回しているので、これもまだ編集が出来ていない。
 編集が済んだころで、どういう形でみなさんに見て貰うかを考えるとのことです。
 
 ところで、昨日、3年7組の自称佐賀のニニ・ロッソ(投稿ネーム・23ロッソ)氏等と飲んでいて、ブラバンにいた人たちのことや音楽のことが話題になりました。

 ニニ・ロッソの話も出ましたので、あの透き通ったトランペットの音色で「夜空のトランペット、夕焼けのトランペット」をお楽しみください。

https://www.youtube.com/watch?v=y2Nt18pWEDc

 ヘッドホンもしくはイヤホンで聴いた方が、音色がいいですよ。
 トランペットを吹いていた友田さん、これを読まれたら連絡してください。
 行方不明者になっていますよ。

 


[1211] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/18(土) 23:42 [ 返信 ]
(写真ーその11)



[1225] RE:佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:北村元晴 Date:2017/11/24(金) 18:09
 あっという間の4時間でした。
 話し足りなかったけど、久し振りにあった同級生と50年前を思い出して、楽しいひと時でした。
 11組の幹事の土屋君、色々とありがとうございました。そしてご苦労様でした。
 また帰省した時は連絡しますので宜しくお願い致します。
 11組、小平市在住 北村


[1226] RE:佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:木村 3組 Date:2017/11/25(土) 07:37
 北村さん、16日はゆっくりと話をすることが出来ず残念でした。
 ところで、1年9組の担任で数学の担当であった池田芳昭先生の元気な様子が、佐賀新聞に掲載されました。
 県内外で開催された色んな同窓会の記念写真を投稿する欄があるのですが、11/18、そこに、旧高木瀬中学校昭和28年卒業生の傘寿を祝う同窓会の写真が載っていて、80才の池田先生が笑顔で写っておられます。英語の教科担当であった宮原都明先生も少し厳しい顔で写っておられます。
 


[1227] RE:池田先生のこと Name:北村元晴 MAIL Date:2017/11/26(日) 17:50
 木村さん、情報ありがとうございます。
 今回の帰省で、17日に池田先生のお宅を訪問し、先生と奥様に会って来ました。 
 顔色も良く笑顔で迎えていただきました。
 3時間ほど昔話で盛り上がり、最後に先生のハーモニカの演奏を聴いてきました。(笑)
 
 先生がまだ結婚したばかりの新婚家庭に教え子が10に以上で押しかけて夜遅くまでトランプをして、雑魚寝をして朝ご飯までごちそうになったこともあります。
 あの時笑顔で話していた小宮君が亡くなったことを聞きとても残念でした。
 ところで、石坂幸三郎?君は元気でしょうか?
 東京都の水道局に勤務していたことは知っていましたが…。
 1年9組の仲間で天山に登ったり、唐津の海でキャンプしたことを懐かしく思い出します。

[1224] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 22:11 [ 返信 ]
写真−その24)



[1223] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:11 [ 返信 ]
(写真−その23)



[1222] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:10 [ 返信 ]
(写真−その22)



[1221] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:09 [ 返信 ]
(写真−その21)



[1220] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:08 [ 返信 ]
総合プロデューサーの峰さんと熱唱する三浦さんの甘い歌声が会場に響き渡りました。
(写真−その20)




[1219] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:05 [ 返信 ]
『黄昏のビギン』で寄り添うパリジャンとパリジェンヌの余興に見入りました。
(写真−19)




[1218] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:02 [ 返信 ]
(写真−その18)



[1217] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:01 [ 返信 ]
(写真−その17)



[1216] 佐賀北高3期生卒業50周年同窓会 Name:RIBBON Date:2017/11/19(日) 15:00 [ 返信 ]
(写真−その16)




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